諏訪神社 (新宿区)
表示
諏訪神社 | |
---|---|
鳥居 | |
所在地 | 東京都新宿区高田馬場1-12-6[1] |
位置 | 北緯35度42分32.9秒 東経139度42分27.6秒 / 北緯35.709139度 東経139.707667度座標: 北緯35度42分32.9秒 東経139度42分27.6秒 / 北緯35.709139度 東経139.707667度 |
主祭神 |
大国主命 事代主命 武御名方命[1] |
社格等 | 旧村社 |
創建 | 弘仁年間(810年 - 824年) |
別名 | 新宿諏訪神社 |
例祭 | 8月27日[1] |
諏訪神社(すわじんじゃ)は、東京都新宿区高田馬場にある神社。地名を冠して新宿諏訪神社(しんじゅくすわじんじゃ)とも称される。
JR・東京メトロまたは西武鉄道の高田馬場駅の南東約350mの市街地に鎮座する。 徳川家の鷹狩と深いつながりを持ち、絵馬などが保管されている[2]。古より眼病・諸病に霊験有りとする地下霊水が湧き出している。
縁起
[編集]弘仁年間(810 - 824年)の創建と伝えられ、小野篁により大国主命・事代主命を祀ったのがはじまりとされる[2]。松原神社と命名されたが、徳川義直により諏訪神社と改名[2]。 かつては付近一帯が当神社にちなみ諏訪町(すわちょう)と呼ばれていたが[注釈 1]、住居表示による町名変更により、地名としては消滅した。現在では諏訪通りや諏訪町交差点などに名を残している。
歴史
[編集]- 弘仁年間(810 - 824年):創建[2]。
- 承和年間(834 - 848年):真雅僧正により再営[2]。
- 永承年間(1046 - 53年):源頼義・義家父子祈願、凱陣の際に武器を納める[2]。
- 文治5年(1189年):源頼朝祈願。頼義・義家父子を当社境内に白旗社として祀る[2]。
- 建長6年(1254年):北条時頼が厳島神社を境内に祭祀[2]。
- 応仁3年(1469年):春、太田道灌が社殿を再営[2]。
- 江戸時代初期:徳川義直が信濃国の諏訪神を勧請、合祀。諏訪神社と改称。[2]
- 江戸時代初期:後水尾天皇により武御名方命を合祀[2]。
- 寛永年間(1624 - 44年):徳川家光により造営[2]。 徳川家綱が老鷹を奉納して以後、代々徳川家の老鷹が奉納[2]。
- 明和年間(1764 - 72年):徳川家治により、祭神を江戸城内の紅葉山及び吹上(浜離宮)へ遷座[2]。
- 天保6年(1835年):社務所より出火し、神庫・末社に至るまで焼失[2]。
- 明治3年(1871年):氏子一同により社殿を修復[2]。
- 明治15年(1882年):明治天皇の行幸の際、神酒・鴨を奉納。
- 昭和18年(1943年):行幸史跡に指定。
- 昭和55年(1980年):老朽化により新社殿を落成[2]。
文化財
[編集]- その他、鷹狩にちなむ絵馬、貴重な絵馬が保管されている。
-
拝殿
-
塞神三柱の塔
交通
[編集]氏子地域
[編集]- 新宿区高田馬場一丁目1~3・4(一部)・5(一部)・6(一部)・7~16・17(一部)・18~24・25(一部)・27(一部)・28~34・35(一部)
- 新宿区高田馬場二丁目18(一部)
- 新宿区大久保一丁目3~6・7・9~10・14~16、二丁目~三丁目(全域)
- 新宿区西早稲田二丁目14(一部)・16(一部)・17・18(一部)・19~20・21(一部)
- 新宿区新宿七丁目26~27(各一部。旧西大久保二丁目)
- 新宿区百人町四丁目4~9(旧戸塚町四丁目)
- 新宿区下落合一丁目7(一部)・12~13・17(旧上戸塚村の部分)
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- “新宿 諏訪神社”. 公式ホームページ. 2020年6月13日閲覧。
- “諏訪神社【おすわ様】”. 東京都神社庁. 2020年6月13日閲覧。
- “新宿区指定・登録文化財一覧”. 新宿区. 2020年6月13日閲覧。
- “登録 有形民俗文化財 塞神三柱の塔”. 新宿区立新宿歴史博物館. 2020年6月13日閲覧。
- 「諏訪村 諏訪社」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ11豊島郡ノ3、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763977/15。
- 斎藤長秋 編「巻之四 天璣之部 諏訪谷村諏訪明神社」『江戸名所図会』 2巻、有朋堂書店〈有朋堂文庫〉、1927年、470-471頁。NDLJP:1174144/240。