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西岡洋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
西岡 洋
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府大阪市平野区
生年月日 (1969-09-27) 1969年9月27日(55歳)
身長
体重
176 cm
73 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1991年 ドラフト2位
初出場 1992年4月5日
最終出場 1999年10月3日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

西岡 洋(にしおか ひろし、1969年9月27日 - )は、大阪府大阪市平野区出身の元プロ野球選手投手)。

経歴

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興南高では2年時から名幸一明とバッテリーを組み、1学年上の友利結らと活躍。1985年秋季九州大会県予選決勝に進みリリーフとして登板、友利につなぐが、上原晃を擁する沖縄水産高に惜敗。

1986年夏の沖縄大会は、決勝でまたも沖縄水産高に敗退し甲子園出場を逸する。この試合では登板機会がなかった。新チームとなり、エースとして同年の秋季九州大会県予選を勝ち抜き本大会に進むが、2回戦(初戦)で堀幸一のいた海星高に完封負け。

1987年夏も県予選で敗れ、甲子園には出場できなかった。

高校卒業後は、社会人野球大阪ガスに入団。

1991年都市対抗野球住友金属の補強選手として出場。1回戦でリリーフとして登板、三菱自動車京都を相手に好投し勝利投手となる。準々決勝では先発し日立製作所を抑えて大会2勝目を飾る。しかし準決勝では東芝丹波健二に2打席連続で同点となる本塁打を浴び、結局延長10回サヨナラ負けを喫する。秋の日本選手権では3試合に完投勝利して決勝でも先発したが惜敗し、敢闘賞。

1991年のプロ野球ドラフト会議ヤクルトスワローズから2位指名を受け入団。

1992年野村克也監督からボールの切れが評価され、開幕時に抑えに抜擢されたが、制球が定まらずチャンスを逃した。その後サイドスローに転向し、スライダーを武器に主にワンポイントで起用される。

1996年オフに自由契約

1997年近鉄バファローズにテスト入団する。

1999年は自己最多の13試合に登板するが、同年オフに現役を引退した。

2000年から近鉄の打撃投手に転身。

2005年からはオリックス・バファローズでアシスタントスタッフ(打撃投手)を務めた。

2009年よりオリックスの野球教室講師を務めたのち、現在、幼稚園児から中学生までを対象にした野球塾16'S BASEBALL ACADEMYを主宰している。

私生活では1995年女優渡辺典子と結婚したが、1998年に離婚している[1]

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1992 ヤクルト 7 1 0 0 0 0 2 0 -- .000 69 14.1 14 4 12 0 1 8 0 0 16 16 10.05 1.81
1993 4 0 0 0 0 0 1 0 -- .000 10 2.0 1 0 3 0 0 3 0 0 3 3 13.50 2.00
1995 1 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 7 1.0 4 0 0 0 0 2 0 0 3 3 27.00 4.00
1997 近鉄 1 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 9 2.0 3 0 1 0 0 0 0 0 2 2 9.00 2.00
1998 8 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 21 4.1 5 1 3 1 0 2 0 0 2 2 4.15 1.85
1999 13 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 34 6.2 8 0 6 0 1 4 0 0 2 2 2.70 2.10
通算:6年 34 1 0 0 0 0 3 0 -- .000 150 30.1 35 5 25 1 2 19 0 0 28 28 8.31 1.98

記録

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  • 初登板:1992年4月5日、対阪神タイガース2回戦(神宮球場)、10回表に2番手で救援登板、1/3を1失点で敗戦投手
  • 初奪三振:同上、10回表

背番号

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  • 37 (1992年 - 1996年)
  • 54 (1997年 - 1999年)
  • 114 (2000年 - 2004年) ※打撃投手
  • 116 (2005年 - 2008年) ※打撃投手

脚注

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関連項目

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外部リンク

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