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西内文夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
西内文夫 Portal:陸上競技
選手情報
フルネーム 西内文夫
国籍 日本の旗 日本
種目 十種競技
生年月日 1922年
生誕地 香川県丸亀市広島
没年月日 2001年8月23日
死没地 東京都府中市
獲得メダル
陸上競技
アジア大会
1951 ニューデリー 十種競技
1954 マニラ 十種競技
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西内 文夫(にしうち ふみお、1922年 3月2日- 2001年8月23日)は日本陸上競技選手。

香川県丸亀市広島町出身。丸亀商業学校(現:丸亀城西高校)、中央大学[1]

1951年インドニューデリーで開催された第1回アジア競技大会十種競技金メダルを獲得(記録:6324点)。1954年フィリピンマニラで開催された第2回アジア競技大会では銀メダルを獲得した(記録:5429点)[2]

日本陸上競技選手権大会では1951年から1953年まで三連覇を達成[3]

その後、母校の中央大学陸上競技部監督に就任し、東京箱根間往復大学駅伝競走で8回優勝した[1]

2001年8月23日、急性心不全のため死去[4]。79歳没。

脚��

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関連項目

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