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裸体と衣裳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
裸体と衣裳
作者 三島由紀夫
日本の旗 日本
言語 日本語
ジャンル 日記随筆評論
発表形態 雑誌連載
初出情報
初出新潮1958年4月号-1959年9月号
初出時の題名日記
刊本情報
刊行 『裸体と衣裳――日記』
出版元 新潮社
出版年月日 1959年11月30日
装幀 藤野一友
総ページ数 261
ウィキポータル 文学 ポータル 書物
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裸体と衣裳』(らたいといしょう)は、三島由紀夫の公開日記形式の評論随筆。文芸評論からオペラ観劇の感想まで、三島の幅広い芸術観がみられる随筆である。日記の日付は、1958年(昭和33年)2月17日から、1959年(昭和34年)6月29日までの約1年半の、長編小説『鏡子の家』の起草から完成までの期間となっており、『鏡子の家』の進行状況を基軸にして、様々な身辺雑記や交友録、評論が日記形式で綴られている[1][2]

発表経過

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1958年(昭和33年)、文芸雑誌『新潮』4月号から翌年1959年(昭和34年)9月号まで「日記」のタイトルで連載された[3]。単行本は1959年(昭和34年)11月30日に新潮社より『裸体と衣裳――日記』として刊行された[4]。文庫版は新潮文庫で刊行されたが絶版となり、講談社文芸文庫の『三島由紀夫文学論集 II』に収録されている[注釈 1]

内容

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以下のような戯曲創作方法、小説家論、様々な読書感想、身辺雑記が綴られている。

武田泰淳『おとなしい目撃者』、『司馬遷――史記の世界』、ガルシア・ロルカ『ドン・クリストバル』、『血の婚礼』、モオリヤック『仔羊』、フロオベエル感情教育』、トオマス・マンワイマールロッテ』、ホーフマンスタール『アンドレアス』、ヨハン・ホイジンガ『中世の秋』、古代マヤの聖典『ポポル・ヴフ』、田中千禾夫『寝物語』、吉田健一ロレンス論』)、大江健三郎論、ボクシング観戦、文壇・舞台関係者(鉢の木会の面々、川端康成黛敏郎田中澄江朝吹登水子、など)、ボクシング関係者との交流、映画鑑賞(『女優志願』、『ローレンの反撃』、『結婚のすべて』、『美徳のよろめき』、『若い獣』、『手錠のままの脱獄』、『無分別』、『完全な遊戯』、『SOSタイタニック』、『大いなる西部』、『ニューヨークの王様』、『危険な曲り角』)、結婚観、千夜一夜譚考(『モスルのイブラヒムと悪魔』、『モスルのイシャクとその恋人と悪魔』)、結婚式、新婚旅行記、映画『炎上』撮影見学、歌舞伎・舞台観劇、映画論、時事政治評(「悪と政治と」)、ポール・アンカ・ショー観賞、ゲーテ論、ガルシア・ロルカ論、ポオ論、新居建設、春日井建論、ボディビル剣道稽古、オペラ観劇(『アイーダ』、『ペレアスとメリザンド』、『オテロ』、『椿姫』)、映画『不道徳教育講座』出演苦戦報告、仲人体験、海外来客案内、バレエ観劇(『白鳥の湖』、『眠れる森の美女』、『フランチェスカ・ダ・リミニ』、『白の組曲』、『ロメオとジュリエット』、『高電圧』)、皇太子御成婚、園遊会、新居引越、長女誕生、『鏡子の家』完成報告、など。

1958年(昭和33年)11月25日付の日記文中に、以下のようにタイトルに由来する文章がある。

精神で歩くことのできる唯一の領域で、その裸形は、人が精神の名で想像するものとあまりにも似てゐないから、われわれはともするとそれを官能と見誤る。抽象概念は精神の衣裳にすぎないが、同時に精神の公明正大な伝達手段でもあるから、それに馴らされたわれわれは、衣裳と本体とを同一視するのである。 — 三島由紀夫「日記」[6]

外遊日記

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『裸体と衣裳』が「日記」のタイトルで雑誌連載されていた際、随所に挟み込まれていたもので、刊行本にあたり、その部分を年月日順に編成し直して、「附・外遊日記」としてまとめて巻末に付されている[1]

日付は、1957年(昭和32年)8月15日から、1958年(昭和33年)1月9日までで、クノップ社の社長と面会したこと、小説家ジェイムス・メリルのニュージャージー州の家に招かれたこと、プエルトリコメキシコシティニューヨークローマ滞在の日記が綴られている。『近代能楽集』の上演計画や、『仮面の告白』の翻訳企画のことも書かれている。

おもな刊行本

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  • 『裸体と衣裳――日記』(新潮社、1959年11月30日) NCID BN11646935
    • 装幀:藤野一友。布装。橙色帯。261頁
    • 収録作品:「裸体と衣裳――日記」「附・外遊日記」
  • 文庫版『裸体と衣裳』(新潮文庫、1983年12月25日)
  • 『三島由紀夫文学論集 II 』虫明亜呂無編(講談社文芸文庫、2006年5月10日)
  • 文庫版『外遊日記――三島由紀夫のエッセイ1』(ちくま文庫、1995年6月22日)
    • 装幀:安野光雅。カバー装画:山本容子。カバーデザイン:渡辺和雄
    • 解説:田中美代子「美の裂け目をのぞく」
    • 収録作品:「旅の絵本」「遠視眼の旅人」「日本の株価」「南の果ての都へ」「外遊日記」「ニューヨークの溜息」「ニューヨークぶらつ記」「紐育レストラン案内」「大統領選挙」「口角の泡」「ピラミッドと麻薬」「旅の夜」「美に逆らうもの」「冬のヴェニス」「熊野路」「英国紀行」「インド通信」「アメリカ人の日本神話」
  • 文庫版『戦後日記』(中公文庫、2019年4月)。解説:平山周吉

全集収録

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  • 『三島由紀夫全集28巻(評論IV)』(新潮社、1975年8月25日)
    • 装幀:杉山寧四六判。背革紙継ぎ装。貼函。
    • 月報:開高健「匿名の自然」。《評伝・三島由紀夫28》佐伯彰一「三島由紀夫以前(その4)」。《三島由紀夫論3》田中美代子「女神をめぐって」。
    • 収録作品:昭和33年3月から昭和34年1月の評論36篇。
    • ※ 同一内容で豪華限定版(装幀:杉山寧。総革装。天金。緑革貼函。段ボール夫婦外函。A5変型版。本文2色刷)が1,000部あり。
  • 『決定版 三島由紀夫全集30巻・評論5』(新潮社、2003年5月10日)
    • 装幀:新潮社装幀室。装画:柄澤齊。四六判。貼函。布クロス装。丸背。箔押し2色。
    • 月報:西尾幹二「世界史の分水嶺」。森内俊雄「三島由紀夫の原稿用紙について」。[思想の航海術5]田中美代子「発見された生活」
    • 収録作品:昭和33年1月から昭和33年12月まで(連載物は初回が)の評論51篇。「心中論」「外遊日記」「裸体と衣裳――日記」「作家と結婚」「不道徳教育講座」ほか

脚注

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注釈

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  1. ^ 元版は三島の生前に虫明亜呂無により編まれた『三島由紀夫文学論集』(講談社、1970年3月)である[5]

出典

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  1. ^ a b 関谷一郎「裸体と衣裳」(事典 2000, pp. 405–406)
  2. ^ 「第三章 問題性の高い作家」(佐藤 2006, pp. 73–109)
  3. ^ 井上隆史「作品目録――昭和33年-昭和34年」(42巻 2005, pp. 416–422)
  4. ^ 山中剛史「著書目録――目次」(42巻 2005, pp. 540–561)
  5. ^ 「序文」(『三島由紀夫文学論集』講談社、1970年3月)。36巻 2003, pp. 64–65、論集I 2006, pp. 9–11
  6. ^ 「昭和33年11月25日(火)」(『裸体と衣裳――日記』(新潮社、1959年11月。新潮文庫、1983年12月)。論集II 2006, pp. 123–126

参考文献

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