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袁豹

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袁 豹(えん ひょう、373年 - 413年)は、東晋末の官僚は士蔚。本貫陳郡陽夏県。兄は袁湛

経歴

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袁質(袁耽の子)の子として生まれた。学問を好み、古典を広く読んだ。著作佐郎を初任とした。次いで桓謙の下で衛軍記室参軍となった。元興元年(403年)、武陵王司馬遵が承制すると、袁豹はその下で大将軍記室参軍をつとめた。この年のうちに、丹陽尹孟昶の下で建威司馬となった。義熙初年、司徒左西属に転じた。また劉毅の下で撫軍諮議参軍となり、記室を兼ねた。劉毅が農業政策についての議論を起こすと、袁豹は開墾の推進と重農抑商を唱えた。

撫軍司馬に転じ、入朝して御史中丞となった。義熙6年(410年)、孟昶が死去すると、袁豹は代わって丹陽尹となった。義熙7年(411年)、上納する銭を移動させた罪を問われて、太尉諮議参軍に降格され、長史に転じた。義熙8年(412年)、従軍して劉毅に対する討伐に参加した。劉裕朱齢石を派遣して後蜀を討たせるにあたって、袁豹がその檄文を書いた。

義熙9年(413年)、袁豹は在官のまま死去した。享年は41。義熙10年(414年)、南昌県五等子に追封された。

子女

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伝記資料

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