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藤波景忠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
藤波 景忠
時代 江戸時代前期
生誕 正保4年4月16日1647年5月20日
死没 享保12年5月11日1727年6月29日
官位 正二位非参議
主君 後西天皇霊元天皇東山天皇中御門天皇
氏族 藤波家
父母 父:藤波友忠、母:家女房
兄弟 景忠、閑
貞固
友麿、徳忠河辺忠長河辺隆亮河辺景英、富麿、徳麿、千種有補、女子
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藤波 景忠(ふじなみ かげただ)は、江戸時代前期の日本の公卿伊勢神宮祭主

生涯

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正保4年(1647年)、神宮祭主藤波友忠の子として生まれる。万治4年(1661年)2月、15歳で叙爵され、同年3月には祭主となる。順調に昇叙して延宝6年(1678年)には従三位まで昇った[注 1]が、天和4年(1684年)2月9日、鷁退して正四位下まで下った。2日後の11日には昇殿を許され、貞享2年(1685年)になって従三位に復し、公卿に列せられた。正徳4年(1714年)に子の徳忠に祭主職を譲った。享保12年(1727年)、81歳で薨去した。

官歴

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系譜

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脚注

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注釈

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  1. ^ 『公卿補任』霊元天皇貞享二年条。ただし、従三位に叙されたとされる延宝六年条には見えず。
  2. ^ 『公卿補任』霊元天皇貞享二年条。神祇権大副には延宝2年に補されてから、貞享2年段階で元の如しとあることから、直前の刑部大輔兼任で、兵部大輔は転任かつ神祇権大副と兼任であろう。

出典

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  • 公卿補任』第四篇(黒板勝美・国史大系編輯会『新訂増補国史大系』所収)吉川弘文館、1974年