藤原良平
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 兵庫県朝来市 |
生年月日 | 1986年2月15日(38歳) |
身長 体重 |
183 cm 81 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2007年 大学生・社会人ドラフト3巡目 |
初出場 | 2011年5月4日 |
最終出場 | 2017年9月20日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
派遣歴 | |
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この表について
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藤原 良平(ふじわら りょうへい、1986年2月15日 - )は、兵庫県朝来市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
経歴
[編集]プロ入り前
[編集]鳥取城北高等学校時代は甲子園経験はなく、3年夏の全国高等学校野球選手権鳥取大会ではエースとしてベスト4進出。
家業の大工を継ぐため「建築の勉強と野球ができる大学に」と第一工業大学に進学。3年秋からエースとして活躍し、公式戦15試合で10勝2敗、防御率0.99の成績を記録。4年春の2007年には鹿児島大学連盟春季リーグで最優秀投手賞を獲得した。
2007年11月19日に行われた大学・社会人ドラフトで埼玉西武ライオンズから3巡目で指名を受けた。第一工業大および朝来市出身者では初のプロ野球選手となった。
西武時代
[編集]2011年、5月4日の対千葉ロッテマリーンズ戦(西武ドーム)で一軍初登板を果たしたが、4死球を与えるなど制球面に課題を残した。
2012年は7月7日に敗戦処理として登板するも打ち込まれ、すぐに一軍登録を抹消された。これ以降一軍登板は無く、シ��ズン途中からサイドスローへ転向した。
2013年は、イースタン・リーグで最多勝と最多奪三振を獲得したが、一軍では2試合の登板にとどまり結果も残せなかった。
2014年は6月13日に対広島東洋カープ戦(西武ドーム)で先発。5回1/3を無失点に抑え、チームが7-0で勝利したことによりプロ入り7年目で初勝利・初先発勝利を記録するなど、8回の先発を含む自己最多の20試合に登板した。
2016年、4月30日に一軍昇格し、5月8日の北海道日本ハムファイターズ戦で2年ぶりの勝利を挙げた[1]。同年は10試合に登板し2勝1ホールド、防御率2.06を記録した。
2017年は8試合と少ない登板数ながら防御率1.54を記録した。
2018年は一軍登板が無く10月4日に戦力外通告を受け[2]、同日に現役引退を表明した[3]。
現役引退後
[編集]引退後はスポーツ用品卸売業のゼット株式会社に就職した[4]。
選手としての特徴・人物
[編集]元々はスリークォーターだったが、2012年度シーズン途中からサイドスローに転向し[5]、2013年度シーズン終了後の秋季キャンプではシンカーの習得に挑んだ[6]。
速球の投げ方が独特であり、他の投手とは対照的にボールの縫い目の弧が大きい方を外側にして投げている[5]。
鳥取城北高等学校出身のプロ野球選手は川口和久、能見篤史に続いて3人目である。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2011 | 西武 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 35 | 7.2 | 8 | 0 | 2 | 0 | 4 | 5 | 1 | 0 | 3 | 3 | 3.52 | 1.32 |
2012 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 18 | 2.1 | 8 | 1 | 3 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 5 | 5 | 19.29 | 4.71 | |
2013 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 10 | 2.0 | 3 | 1 | 1 | 0 | 1 | 2 | 0 | 0 | 4 | 4 | 18.00 | 2.00 | |
2014 | 20 | 8 | 0 | 0 | 0 | 2 | 6 | 0 | 3 | .250 | 229 | 50.1 | 56 | 2 | 25 | 0 | 6 | 30 | 3 | 0 | 30 | 27 | 4.83 | 1.61 | |
2015 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | .000 | 52 | 11.1 | 10 | 1 | 8 | 0 | 1 | 7 | 0 | 0 | 9 | 9 | 7.15 | 1.59 | |
2016 | 10 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1 | 1.000 | 52 | 13.0 | 11 | 0 | 3 | 0 | 1 | 9 | 0 | 0 | 3 | 3 | 2.06 | 1.08 | |
2017 | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | 53 | 11.2 | 10 | 1 | 7 | 0 | 2 | 5 | 0 | 0 | 3 | 2 | 1.54 | 1.46 | |
NPB:7年 | 53 | 8 | 0 | 0 | 0 | 4 | 7 | 0 | 5 | .364 | 449 | 98.1 | 106 | 6 | 49 | 0 | 15 | 58 | 5 | 0 | 57 | 53 | 4.85 | 1.58 |
年度別守備成績
[編集]年 度 |
球 団 |
投手 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 | ||
2011 | 西武 | 5 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1.000 |
2012 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | |
2013 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | .--- | |
2014 | 20 | 2 | 13 | 0 | 4 | 1.000 | |
2015 | 7 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | |
2016 | 10 | 0 | 0 | 0 | 0 | .--- | |
2017 | 8 | 1 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | |
通算 | 53 | 3 | 18 | 0 | 4 | 1.000 |
記録
[編集]- 初登板:2011年5月4日、対千葉ロッテマリーンズ5回戦(西武ドーム)、3回表1死に2番手で救援登板、2回2/3を1失点
- 初奪三振:同上、4回表にサブローから空振り三振
- 初先発登板:2014年5月26日、対広島東洋カープ2回戦(三次きんさいスタジアム)、5回2/3を4失点で敗戦投手
- 初ホールド:2014年5月4日、対千葉ロッテマリーンズ8回戦(QVCマリンフィールド)、5回裏に4番手で救援登板、1回無失点
- 初勝利・初先発勝利:2014年6月13日、対広島東洋カープ4回戦(西武ドーム)、5回1/3を無失点
背番号
[編集]- 28 (2008年 - 2018年)
登場曲
[編集]- 「Lovumba」ダディー・ヤンキー
脚注
[編集]- ^ 西武 藤原2年ぶり勝利「とにかく必死」、肺がん闘病の父励ますスポニチアネックス 2016年5月8日掲載
- ^ “西武が坂田、藤原、豊田ら5選手に戦力外通告 坂田は今季1軍出場なし”. Full-Count (2018年10月4日). 2018年10月7日閲覧。
- ^ “西武藤原が現役引退「悔いないと言えばウソになる」”. 日刊スポーツ (2018年10月4日). 2018年10月7日閲覧。
- ^ “プロ野球12球団 戦力外、引退、移籍選手/一覧”. 日刊スポーツ. (2019年3月18日) 2020年10月2日閲覧。
- ^ a b “ナベQストレート後継者現る! 横手投げ6年目右腕アピール”. スポニチ Sponichi Annex (2012年2月22日). 2013年11月16日閲覧。
- ^ “伊原監督 秋季キャンプ強化指定に「藤原」指名!”. スポニチ Sponichi Annex (2013年11月6日). 2013年11月16日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 藤原良平 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube、MLB