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良乙那

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
良乙那
各種表記
漢字 梁乙那
発音: ヤンウルラ
日本語読み: やんうるな
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三姓穴
耽羅国発祥地」の碑

良乙那梁乙那(やんうるな、朝鮮語: 양을나、生没年不詳)は、耽羅国の3人の建国者のうちの1人である[1]。当初は、良乙那であったが、「良」を「」に改姓しため、梁乙那となる[1]朝鮮氏族済州梁氏の始祖。

人物

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耽羅国の建国説話によると、太古、漢拏山の北山麓の毛興穴から、高乙那夫乙那の兄弟とともに湧きでた[1]。ある日、済州島の東海岸に木箱が漂着した。木箱には、日本国王の娘、、五穀のが入っていた[1]。3兄弟は、日本国王の娘をそれぞれ配偶者とし、農業をおこない、家畜を育てて子孫は栄えた。その後、彼らの15世の孫3人が新羅朝貢し、「星主」「星子」「都内」という称号を授与された[1]

分析

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三姓説話」の構成は、海洋的要素と岩穴神話の特徴をもっており、南方系神話の性格を有している。これは、殆どの朝鮮の始祖説話が北方系の天孫降臨説話であるのとは対照的である[1]

内容

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耽羅縣在全羅道南海中。其古記云:「太初無人物,三神人,從地聳出,〈其主山北麓,有穴曰毛興,是其地也。〉長曰良乙那,次曰高乙那,三曰夫乙那。三人遊獵荒僻,皮衣肉食。一日見紫泥封藏木函,浮至于東海濱,就而開之,函內又有石函,有一紅帶紫衣使者,隨來。開石函,出現靑衣處女三,及諸駒犢五穀種。乃曰:『我是日本國使也。吾王生此三女云,「西海中嶽,降神子三人,將欲開國,而無配匹。」於是,命臣侍三女,以來爾。宜作配,以成大業』。

瀛州と呼ばれ、未だ人の住まない太古の済州に、良乙那、高乙那、夫乙那の3つの姓のある三人の神人が、漢拏山の北山麓の地の、三姓穴に現れ、これが済州人の先祖である。ある日、漢拏山を展望していた彼らは、東方から流れてくる木箱を発見した。開けてみると、箱のなかには日本国から来たという使者と美しい三人の姫、家畜や五穀の種が入っていた。三人の神人は、彼女達を妻として迎え、産業と五穀の栽培を始めて集落をつくった。 — 高麗史、巻五十七

脚注

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関連項目

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