羅一鈞
羅一鈞 Lo Yi-Chun | |
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疾病管制署副署長 [注 1] | |
就任 2016年9月2日 | |
大臣 | 郭旭崧、 陳時中(衛生福利部部長) |
署長 | 林奏延、 周志浩 |
個人情報 | |
生誕 | 1977年12月24日(46歳) 台湾 花蓮県花蓮市 |
国籍 | 中華民国 |
専業 | 内科医、疫学者 |
受賞 | 2020年国立台湾大学傑出校友(社会服務類) |
渾名 | 羅副、鈞鈞、鈞傳媒、防疫界柯南、國民女婿 |
羅 一鈞 | |
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各種表記 | |
繁体字: | 羅一鈞 |
拼音: | Luó Yī jūn |
通用拼音: | Luó Yījiūn |
ラテン字: | Lo Ichun |
注音符号: | ㄌㄨㄛˊ ㄧ ㄐㄩㄣ |
和名表記: | ら いっきん |
発音転記: | (中)ルォ・イージュン |
英語名: |
Yi-chun Lo Philip Lo[注 2] |
羅 一鈞(ら いっきん、ルォ・イージュン、1977年[2]12月24日[3] - )は台湾花蓮県花蓮市出身の内科医、感染症医、疫学者。
国立台湾大学医学部附属病院(台大医院)内科兼任主治医師、同感染科専属医師を経て、2016年より現任の衛生福利部疾病管制署(台湾CDC)副署長。2020年より新型コロナ流行に伴い、中央流行疫情指揮中心で作戦部門のうち医療インフラや検疫所、隔離場所を統括する医療応変組の副組長を務める[4]。
経歴
[編集]学生時代
[編集]花蓮市の美崙地区で出生。省立花蓮師範専科学校附設小学(現在の国立東華大学附設実験国民小学)5年時に飛び級で花蓮県立花崗国民中学に進級[5]。高校は台北市立建国高級中学数理資優班(理数科)に進む[5]。文学青年を夢見つつも[6]、両親の期待に応え、2年時に再度飛び級で国内最高峰の国立台湾大学医学院に進学[7]。在学中は医学院のサークル「杏林合唱団」で団長を務め積極的な公演活動を行った[8]。2001年、大学が実験的に導入していた新制度により6年で卒業を果たした[8][5]。
医師時代
[編集]2001年9月、中華民国国軍での医官資格を放棄し、同梯の連加恩(医師)らとともに第一期外交代替役に選ばれた[9]。
マラウイ赴任を希望し、医療団の一員として北部の主要都市ムズズに駐在。マラウイでは成人の15%が後天性免疫不全症候群(エイズ)ウイルスの無症候性キャリアで、ムズズでの有病割合はより深刻な25%だった[10][9]。患者だけではなく医療従事者も犠牲になり、自身が勤務する病院でも犠牲になる医者がいた。羅は当地での健康教育としてリロングウェにある診療所「ライトハウス・トラスト」のエイズ治療を紹介するなど精力的に活動した。
2002年、中華民国総統として当時台湾と国交のあったマラウイを外遊で訪問した陳水扁に接見する機会を得ると[11]、マラウイでのエイズの深刻さや医療物資、医療人員の不足を訴えた[12]。総統との接見をメディア報道で知った当時の台大医学院長陳定信に激励され[13]、メールでの返信時に現地で医学教科書が不足していることを直訴、台大関係者の間に医学書をマラウイに寄贈する運動が広がり[14]、最終的に5,000冊近い医学教科書などの関連書籍がマラウイ大学医学部図書館に届けられた[15]。その後、この病に身を捧げれば患者も医師を信頼するようになるだろうと感じた羅は毎週1回エイズ患者を特別に問診するようになった。外交代替役の経験は羅を伝染病予防分野に身を投じることを決心させた[9][10]。
2003年6月に代替役の任務を終えて帰国、台大医院の内科医師[8]、2006年7月より感染科総医師を務める[8]。
防疫行政官
[編集]2008年に日本人食中毒患者の治療を契機に防疫医師を志すようになった。小丘疹の症状から患者たちの食事を調査し食材のスッポンが原因と睨んだが、当時の台湾ではその診断技術を有していなかったため日本の岐阜大学の実験室に検体を送った[16]。結果は羅の予想通り生肉に含まれていた旋毛虫によるもので、スッポンを介した感染事例としては世界初となった[17][18]。この症例論文は米国CDCの機関紙「EID(Emerging Infectious Diseases)」でも発表された。また、台湾で国内初となる旋毛虫の集団感染でもあり、国家の調査能力を実証する形となった[16]。
2008年7月に疾病管制局(台湾CDC、疾病管制署の前身)で防疫医師として公職に就く[8]。1年後、アメリカ疾病予防管理センター(CDC)が実施する2年間の実地疫学(EIS)訓練受講のため渡米[19][20]。渡米期間中にはナイジェリア発生した原因不明の児童多発死亡事例の調査医師団として米国CDCから派遣された羅は、鉱山労働者が自宅へ持ち帰り加工していた鉱物の粉塵による鉛中毒が原因と突き止めた[21]。
2014年8月、台湾CDCの首席防疫医師だった羅はナイジェリアでのエボラ出血熱流行に伴い医師団とともに現地入りし、駐在台湾人の感染予防に貢献したが[22]、 羅は住民たちの間に「塩水を摂取すればエボラを予防できる」といった噂話や過度のデマを耳にした。噂を信じた住民には塩分摂取過多による腎不全での死亡者もいた[2]。
数度のアフリカ赴任では、間違った知識や噂が蔓延していたことで感染者への不当な差別が横行し、地元に帰った感染者が奇異の目に晒され自殺に追い込まれたリベリアでの経験や、感染を知られたくないために地元から離れた場所で受診しその医師が感染で死亡したナイジェリアでの事例から、当地の防疫センターには心療医や精神科医のチームを作らせて患者のメンタルケアや社会での教育・啓蒙にあたらせた[21]。デマの払拭や心理社会的アプローチの重要性は台湾でも応用できると確信した[21]。
2016年9月2日、CDC副署長だった周志浩が署長へ昇格したことに伴い、周の後任に就任[23]。CDC幹部職としてエンテロウイルス、インフルエンザ、デング熱、チクングニア熱などの感染に対処している。
COVID-19
[編集]2019年12月31日未明、台湾最大のネット掲示板「PTT(批踢踢)」で転載されていた中国・武漢での華南海鮮市場で重症急性呼吸器症候群(SARS)に似た症例が流行していることを知り、CDCにレポートを提出した[24]。CDCは中国政府機関への照会と世界保健機関(WHO)への通報を行っただけでなく[25]、当日には行政院は院長の蘇貞昌が副院長の陳其邁に専門家会議を招集するように命じ、午後の会議を経て武漢発着航空便に対する検疫が即日実施された[26]、後に「新型コロナにおける世界最速の水際対策」と言われる台湾政府の防疫政策はこうして動き出すことなった。
2020年、羅はCDC幹部として中央流行疫情指揮中心のメンバーとなり疫学調査や分析、防疫政策の策定などに関与していく[27]、1、2月は医療整備官として物資の調達を担い、マスク不足に直面しつつも[28]、医療機関の兵站役を担った[1]。
人物
[編集]幼少時から『名探偵コナン』や『金田一少年の事件簿』などのミステリー作品を視聴していた[29]。CDCでの仕事ぶりから「防疫界のコナン」「感染症の探偵」と称されるようになった[17]。2015年、自身のFacebookで臨床検査の結果、2型糖尿病を患っていたことを公表し、その後2年間糖分を控え、適度な運動と投薬で1類まで回復していることも明かしている[30][31]。
高校2年時に全国統一試験である大学聯合招生考試をトップの成績で合格し、飛び級で台大に編入した。卒業も通常学業と実習で7年かかるところを6年で果たしただけでなく、その後も高収入が約束されている開業医や臨床医ではなく、感染症医として報酬が多いとはいえない行政職に身を投じた姿は、台大医学部の先輩OBも絶賛した[32]。
2009年1月、ブログ「心之谷」を開始。エイズ関連の医学的専門知識をウェブ上で紹介する国内初の事例となった。羅自らネットユーザーが発した難病に関する質問に回答することによって、エイズの感染経路などについての正しい知識を広め、市民のエイズに対する恐れや不安を払拭した。2016年、「心之谷」は書籍化された[33]。
CECCの効率的な新型コロナ対策により他国に比して落ち着いた感���状況で蔡英文政権2期目発足を控えた2020年5月、総統の就任式に招待されることになり、記者の質問を受けた陳時中からは「彼を出席させないわけにはいかない。最年少で、最も品格があり、最も将来性もある」と評された[34][35]。
CDCの報道官として国民に正しい自宅隔離を啓蒙する動画は400万回以上再生され、2020年のYoutubeにおいて年間再生回数が台湾国内首位だったことから「鈞傳媒(鈞メディア)」とも呼ばれているほか[36]、実績に裏打ちされた知見を分かりやすく国民に伝える誠実さからネット上での好感度は一時的に上官の陳時中をも上回った[注 3][37]。 CECCで最年少のメンバーかつ独身であることから「丈母娘最愛(外姑最愛)」「國民女婿(国民的婿候補)」の異名がつけられ、本名の発音と「617」(拼音: )が似ていることから「6月17日を『羅一鈞の日』の日にするべき」という声も挙がった[38]。
栄典
[編集]- 国立台湾大学傑出校友(2020年)[13]
主な著作
[編集]- 心之谷:羅一鈞醫生給愛滋感染者和感染者親友的溫暖叮嚀. 貓頭鷹出版社. (2016). ISBN 9789862622797
脚注
[編集]註釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b 陳弋 (2020年6月19日). “獨/「愛滋解藥會誕生」 羅一鈞抗疫20年:我敬畏HIV” (中国語). 三立新聞網. オリジナルの2021年6月28日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b 何欣潔 (2014年9月11日). “防疫醫師羅一鈞 永遠站在病人這邊” (中国語). 今周刊. オリジナルの2015年6月29日時点におけるアーカイブ。
- ^ 羅一鈞 (2008年12月24日). “24小時--沒有許願的生日” (中国語). 羅一鈞的異想世界. 2021年9月4日閲覧。
- ^ “台灣中央流行疫情指揮中心及防疫作法” (中国語). 外交部 (2020年3月27日). 2020年4月10日閲覧。 中華民國駐外單位網站連結
- ^ a b c “羅一鈞道地花蓮人 「跳級上台大」學霸背景曝光!” (中国語). 花蓮最速報. (2021年5月26日)
- ^ “羅一鈞當怪咖 治愛滋不改其志” (中国語). 台灣英文新聞 2021年6月19日閲覧。
- ^ “下一張牌” (中国語). 羅一鈞的異想世界 (2009年5月3日). 2021年6月19日閲覧。
- ^ a b c d e “內科部醫師-羅一鈞” (中国語). 国立台湾大学附設医院 (2008年8月). 2021年9月4日閲覧。
- ^ a b c “第一章 前進非洲” (中国語). 《世界在年輕的胸懷:外交替代役男歸國後記》精彩內容. 遠流出版社. (2004-12). ISBN 9789573253938
- ^ a b “你所不知道的羅一鈞...” (中国語). 大愛電視. (2021年5月24日) 你所不知道的羅一鈞... - YouTube
- ^ "總統繼續馬拉威的第二天訪問行程" (Press release) (中国語(台湾)). 総統府. 6 July 2002.
- ^ “青年行進曲 醫療外交的先鋒-羅一鈞” (中国語). 財團法人國際合作發展基金會 (2003年9月29日). 2021年9月4日閲覧。
- ^ a b “2020年社會服務類-羅一鈞先生” (中国語). 臺灣大學傑出校友 (2020年12月4日). 2021年6月19日閲覧。
- ^ “送舊書到馬拉威 醫學界動起來” (中国語). 自由電子新聞網. (2002年9月8日) 2021年6月19日閲覧。
- ^ “送書到馬拉威 愛心募集4500冊” (中国語). 大紀元. (2002年12月20日)
- ^ a b 陳雪莉 (2015-09-11). 防疫界的名偵探― 衛生福利部疾病管制署 羅一鈞醫師. “集賢榜” (中国語). 人事月刊 (行政院人事行政局) 360期: 頁20. ISSN 20769520 .
- ^ a b 陳麗婷 (2013年1月6日). “羅一鈞防疫「像柯南辦案」” (中国語). 台灣蘋果日報
- ^ “病原微生物検出情報 IASR月報2009年10月号 スッポンを感染源とする旋毛虫症例”. 国立感染症研究所. 2021年9月5日閲覧。
- ^ 疾病管制局 (22 August 2011). 傳染病防治與流病疫情調查等相關研習訓練 - Epidemic Intelligence Service (EIS) Program (Report) (中国語(台湾)). 国家発展委員会公務出国報告資訊網.
- ^ “羅一鈞:愛滋解藥有一天會誕生” (中国語). 三立新聞網. 2021年6月19日閲覧。
- ^ a b c 陳建瑋 (12 2014) (中国語). 勇抗伊波拉 防疫醫師羅一鈞. 台灣光華畫報雜誌社. ISSN 1991-5268 .
- ^ "疾管署首席防疫醫師率領醫師赴奈及利亞,協助台商僑胞防範伊波拉病毒" (Press release) (中国語(台湾)). 衛生福利部疾病管制署. 2021年6月19日閲覧。
- ^ “疾管署長打破空降模式 副署長周志浩扶正接棒”. 自由時報. (2016年8月31日)
- ^ “台湾、新型コロナ発生をいち早く察知 きっかけはネット掲示板の投稿” (日本語). フォーカス台湾 (エキサイトニュース). (2020年4月16日). オリジナルの2020年4月16日時点におけるアーカイブ。
- ^ “台灣搶先全球超前部署!羅一鈞點出PTT「護國神文」通報關鍵” (中国語). 民視. (2020年4月16日)
- ^ “【全文】關鍵3決策曝光 府院超前部署抗武漢肺炎” (中国語). 鏡週刊. (2020年2月9日)
- ^ “男子搭機前往澳門確診 羅一鈞:對社區影響非常低” (中国語). 新頭殼 Newtalk. (2021年6月19日) 2021年6月21日閲覧。
- ^ 陳婕翎 (2020年3月16日). “【防疫英雄】感染科醫師變商人 羅一鈞「罩」住台灣人健康” (中国語). 聯合報. オリジナルの2020年7月5日時点におけるアーカイブ。
- ^ “羅一鈞當怪咖 治愛滋不改其志” (中国語). 中央通訊社. (2013年2月12日)“羅一鈞當怪咖 治愛滋不改其志”. 中央通訊社 (Taiwan News). (2013年2月12日)
- ^ “38歲糖尿病找上門!疾管署副署長羅一鈞控糖菜單這樣吃” (中国語). 早安健康. (2017年11月20日)
- ^ “【都是甜點惹的禍】疾管署副署長38歲罹糖尿病 控糖2年成果分享” (中国語). 上報 Upmedia 2021年6月19日閲覧。
- ^ “醫師爆料羅一鈞不簡單 「這是一個最單純,卻也是一個最複雜的人!」” (中国語). 台灣蘋果日報. (2021年6月14日)
- ^ “醫護人員反而最怕就醫! 愛滋病患者不敢推開的「心門」” (中国語). ETToday 東森新聞雲. (2016年4月7日)
- ^ “羅一鈞也列席 陳時中讚:最年輕最有前途” (中国語). TTV 台視 (Youtube). (2020年5月19日)
- ^ “【520準備】蔡英文親訪指揮中心送邀請函 「防疫五月天」將出席520就職大典” (中国語). 台灣蘋果日報. (2020年5月19日)
- ^ “罔腰自爆沒子宮懷孕 指揮中心「鈞傳媒」也有話說” (中国語). 台灣蘋果日報. (2021年2月19日)
- ^ “【網路溫度計】紅到蘇揆也來蹭熱度!「國民女婿」羅一鈞網路好感度連贏陳時中1個月” (中国語). 華視. (2021年6月23日)
- ^ “「丈母娘最愛」是他 網紅定617羅一鈞日 鐵粉認暗戀很久” (中国語). 中国時報. (2021年6月18日)
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 公式
- 心之谷-關於傳染病的點點滴滴 公式ブログ
- 羅一鈞的異想世界 公式ブログ
- Philip Lo (africadoctor) - Facebook
- 寄稿