細川利国
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 天明4年3月29日(1784年5月18日) |
死没 | 文化7年1月22日(1810年2月25日) |
改名 | 亀之丞(幼名)→利国 |
別名 | 右近 |
墓所 | 東京都品川区北品川の東海寺妙解院 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家斉 |
藩 | 肥後新田藩主 |
氏族 | 細川氏 |
父母 | 父:細川利庸、母:全操院 |
兄弟 | 利国、利愛、利安、利和、利豊、興津利器、黒沢方利 |
妻 |
正室:稲葉弘通の娘 側室:森田氏 |
子 | 利用、養子:利愛 |
細川 利国(ほそかわ としくに)は、肥後新田藩の第7代藩主。
生涯
[編集]天明4年(1784年)3月29日、第6代藩主細川利庸の長男として生まれる。天明8年(1788年)に世子に指名され、文化2年(1805年)の父の死去で跡を継いだ。材木火之番や勅使饗応役などを歴任する。しかし生来から病弱だったため、文化7年(1810年)1月22日に死去した。享年27。
長男の利用は幼少の上に庶子だったため、跡を弟の利愛が養子として継いだ。
系譜
[編集]父母
正室
- 稲葉弘通の娘
側室
- 森田氏
子女
- 細川利用(長男) 生母は森田氏
養子
- 細川利愛 - 利庸の次男