第11回天皇杯全日本サッカー選手権大会
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開催国 | 日本 |
---|---|
開催期間 | 1931年10月28日-31日 |
参加チーム数 | 7 |
優勝 | 東京帝大LB |
準優勝 | 興文中学 |
試合総数 | 6 |
ゴール数 | 23 (1試合平均 3.83点) |
← 1930 1932 → |
この項目では1931年10月28日から31日まで明治神宮外苑競技場��おいて開催されたア式蹴球全國優勝競技會(あしきしゅうきゅうぜんこくゆうしょうきょうぎかい)について記載する。なお、本大会は天皇杯全日本サッカー選手権大会の第11回大会に当たる。
概要
[編集]- 本大会出場は7チーム。
- 本大会は第6回明治神宮競技大会を兼ねていた。
- 東都の誰一人名前も知らない中学生チームの快進撃に神宮が湧いた[1][2]。決勝に進出したのは広島県呉市平原町から来た興文中学[1]。校長が朝鮮で教育に従事していた関係で、朝鮮からの留学生を積極的に受け入れていた[1][2]。修道中学、広島師範学校、鯉城蹴球団など、強豪ひしめく広島予選を勝ち抜き、本戦でも決勝に進出した[1]。しかし興文中学が一瞬の燐きを放ったのはこの年のみで、これ以降全国大会での華々しい活躍はない。興文中学は太平洋戦争で空襲に遭い校舎を焼失。同市阿賀町に移転した後、学校改革で芸南高校と改称したが1975年廃校になった[1]。著名な出身者としてボクシングプロモーターの金平正紀らがいる[3]。
出場チーム
[編集]- 函館蹴球団(北海道、初出場)
- 東京帝大LB(関東、初出場)
- 富山師範クラブ(北陸、初出場)
- 二高クラブ[注 1](東北、2年ぶり2回目)
- 名古屋蹴球団(東海、2年連続7回目)
- 興文中学(中国、初出場)
- 関西学院大学(近畿、初出場)
結果
[編集]1回戦 | 準決勝 | 決勝 | ||||||||
1931年10月 | ||||||||||
二高クラブ | 0 | |||||||||
1931年10月 | ||||||||||
東京帝大LB | 2 | |||||||||
関西学院大学 | 1 | |||||||||
1931年10月31日 | ||||||||||
東京帝大LB | 2 | |||||||||
東京帝大LB | 5 | |||||||||
1931年10月 | ||||||||||
興文中学 | 1 | |||||||||
函館蹴球団 | 0 | |||||||||
1931年10月 | ||||||||||
名古屋蹴球団 | 2 | |||||||||
名古屋蹴球団 | 1 | |||||||||
1931年10月 | ||||||||||
興文中学 | 3 | |||||||||
富山師範クラブ | 1 | |||||||||
興文中学 | 5 | |||||||||
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考資料
[編集]- 第94回天皇杯全日本サッカー選手権大会大会パンフレット (p. 55)
外部リンク
[編集]- 日本サッカーアーカイブ
- NHKによる紹介 - ウェイバックマシン(2010年10月13日アーカイブ分)