コンテンツにスキップ

田沼意壱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
田沼意壱
時代 江戸時代中期
生誕 安永9年(1780年
死没 寛政12年9月17日1800年11月3日
改名 万吉・万之助(幼名)、意壱
別名 意吉
墓所 静岡県牧之原市の西大寺
官位 従五位下左衛門佐
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉
陸奥下村藩
氏族 田沼氏
父母 田沼意知
兄弟 意明意壱意信
新見正偏
意信
テンプレートを表示

田沼 意壱(たぬま おきかず)は、江戸時代中期の大名陸奥国下村藩2代藩主。官位従五位下左衛門佐田沼家3代。田沼意次の孫。

略歴

[編集]

安永9年(1780年田沼意知(田沼意次の嫡男)の次男として誕生した。正室は新見正偏の娘。

寛政8年(1796年)に兄意明の早世により跡を継いだ。しかし病弱だったため、意壱も寛政12年(1800年)9月17日に早世した。享年21。

小夜の間との子を儲けたが、未熟児で幼少のころ他界したとされている。弟の意信が養嗣子として跡を継いだ。

系譜

[編集]

父母

正室

養子