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田村芳朗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
田村 芳朗
人物情報
生誕 (1921-04-11) 1921年4月11日
日本の旗 日本大阪府大阪市
死没 1989年3月20日(1989-03-20)(67歳没)
出身校 東京帝国大学
学問
研究分野 仏教学
研究機関 東洋大学東京大学
学位 文学博士
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田村 芳朗(たむら よしろう、1921年4月11日 - 1989年3月20日)は、日本の仏教学者法華宗僧侶東京大学名誉教授。千葉県長生郡長生村浄教寺住職を務めた。東京大学文学部インド哲学仏教学研究室「日本仏教思想講座」を設けた。

経歴

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出生から修学期

1921年、大阪府大阪市え生まれた。1943年第三高等学校を卒業し、東京帝国大学文学部梵文学印度哲学科に入学。同年12月に学徒出陣で応召入隊。

1946年に復学。1949年、東京大学文学部��度哲学科を卒業した。同大学大学院(旧制)に進み、1954年に修了[1]

仏教学者として

1956年、東洋大学文学部助教授に就いた。1962年、学位論文『鎌倉新仏教の研究:日蓮思想の周辺』を東洋大学に提出して文学博士号を取得[2]。1965年に教授昇格。1970年から1971年までは文学部長を務めた。1972年、東京大学文学部教授に転じた。1982年に東京大学を定年退官し、名誉教授となった。同年4月からは再び立正大学仏教学部教授に就いたが、在任中に[3]没した。

受賞・栄典

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研究内容・業績

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専門は仏教思想史で、中世日本の仏教思想。本覚思想研究(中世仏教史の主軸だった教義)や、日本仏教史での法華経研究(とりわけ日蓮)の第一人者であった。『法華経』(中公新書)のまえがきで、在学中に学徒出陣により戦場を『法華経』のみを携え、激戦を渡った事が原点であったと回想している。『岩波仏教辞典』(1989年)では編集委員を務め、同書は没後に刊行された。

指導学生

著作一覧

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著書
著作集
  • 『田村芳朗仏教学論集』(全2巻) 春秋社
  1. 本覚思想論』1990
  2. 日本仏教論』1991
編書・共著
  1. 『日蓮と法華経』
  2. 『日蓮の生涯と思想』
  3. 『日蓮信仰の歴史』
  4. 『日本近代と日蓮主義』
  5. 『日蓮語録』
  • 『日本仏教のこころ:入門日本仏教思想史』田村圓澄共編、有斐閣選書 1977
  • 『神と仏:源流をさぐる』(仏教思想史 1) 平楽寺書店 1979[9]
  • 『生き死にの道をさぐる:日本仏教の生死観』有斐閣選書 1980
  • 『仏教内部における対論:日本』(仏教思想史 5) 平楽寺書店 1983
  • 『日本における生と死の思想:日本人の精神史入門』源了圓共編、有斐閣選書 1997
  • 『法華経を生きる』渡辺宝陽共編、講談社 1984
  • 『日蓮と法華経信仰』読売新聞社(よみうりカラームックシリーズ) 1985
  • 『思想読本 日蓮』法蔵館 1987
  • 天台神道』(神道大系 論説編 3・4) 末木ほかと共編、神道大系編纂会 1990-1993
  • 『法華思想』(講座大乗仏教 4) 春秋社 1983
    • 新装版 1996
  • 『絶対の真理:天台』(仏教の思想 5) 梅原猛共著、角川書店 1970
  • 智顗』新田雅章[10]共著、大蔵出版(人物中国の仏教) 1982[11]、新装版 1996
  • 『法華経』(全2巻) 藤井教公[12]訳著、大蔵出版(佛典講座) 1988-1992[13]
    • 新装版 2001
  • 『仏教入門 読書マップ』金岡秀友柳田聖山鼎談、筑摩書房 1981
論文
記念論集
  • 『田村芳朗博士還暦記念論集 仏教教理の研究』(春秋社 1982年)- 自身の論考と年譜・著作目録を記載。

脚注

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  1. ^ 田村芳朗『出身県別 現代人物事典 西日本版』p920 サン・データ・システム 1980年
  2. ^ CiNii(学位論文)
  3. ^ 「田村芳朗先生年譜・著述論文目録」-『大崎学報 田村芳朗先生追悼号』1989-11
  4. ^ 新訂にあたって末木文美士が解説担当。
  5. ^ 講演録
  6. ^ 講演録
  7. ^ 天台宗僧侶、中尊寺貫首ほか。子は多田孝正
  8. ^ 主な著作・書簡の対訳のみを収録した抜粋版。
  9. ^ 『仏教思想史』シリーズは全5巻。1979-1983
  10. ^ 門下生の仏教学者、真宗大谷派僧侶(1936-)
  11. ^ 担当箇所は序説のみ。
  12. ^ 門下生で日蓮宗僧侶、身延別院住職ほか(1949-)
  13. ^ 上巻序説のみを担当。