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田中秀穂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

田中 秀穂(たなか ひでほ、1919年5月17日 - )は、日本外交官外務省中近東アフリカ局長、在フィリピン特命全権大使等を務めた。1993年4月勲二等旭日重光章受章。

人物

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北海道札幌市出身。北海道庁立札幌第二中学校(現北海道札幌西高等学校)を経て、1943年旧制東京商科大学一橋大学の前身)を卒業し、外務省入省[1][2]

1974年にパレスチナゲリラ及び日本赤軍和光晴生山田義昭の混成部隊が、シンガポール沖にあったシェル石油傘下のシンガポール・イースタン・ペトローリアム社ブクム島製油所を爆破し、警官隊と銃撃戦を展開、さらにその6日後、パレスチナ解放人民戦線が在クウェート日本大使館を占拠、石川良孝(大使)らを人質にして、和光らを送還し南イエメンへ脱出させることを日本政府に要求した事件(シンガポール・クウェート事件)に、中近東アフリカ局長として対応にあたり、人質解放後、日本政府が派遣した特別機に、犯人グループが南イエメンアデンに脱出するまで人質の身代わりとして同乗した[3]

その後在ニュージーランド・ナイジェリア・フィリピン各特命全権大使を経て、退官し、東海興業社常任顧問、ASEAN協会理事[4]

経歴

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著作

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著書

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  • 『テキサス風土記』(アルプス社、1969年)
  • 『日本大使館占拠さる』(講談社、1984年9月)

論文等

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  • 「鎮圧されたスーダン・クーデター--アラブ世界の動乱」(世界週報52(33)、1971年8月17日)
  • 「アフリカでの争覇戦--ソ連しのぐ中共の熱意」(世界週報52(4)、1971年1月26日)
  • 「大使館の一日」(時の法令(通号362)、1960年9月3日)

訳書

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脚注

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  1. ^ 北海道年鑑 昭和53年版 北海道新聞社, 1978.1
  2. ^ 宝石 3(7) (光文社, 1975-07)
  3. ^ 朝日新聞1974年2月7日、昭和50年警察白書
  4. ^ 東海興業社常任顧問、ASEAN北海道年鑑 昭和59年版 図書 北海道新聞社, 1984.2

外部リンク

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先代
魚本藤吉郎
外務省中近東アフリカ局長
1972年-1974年
次代
中村輝彦