渡辺珍之
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 享保19年11月2日(1734年11月26日) |
死没 | 寛政12年4月20日(1800年5月13日) |
官位 | 従四位上、修理少進、主殿首、大蔵大亟、隠岐守、内豎頭、河内守 |
主君 | 中御門天皇→桜町天皇→桃園天皇→後桜町天皇→後桃園天皇→光格天皇 |
氏族 | 嵯峨源氏流渡辺氏 |
父母 | 父:渡辺珍亮、母:中村元長女 |
妻 | 鈴鹿敬芳女 |
子 | 珍香、山口敬昌、三谷諭、脇屋利貞、村雲主信 |
概要
[編集]寛保3年(1744年)2月10日に10歳で正六位下に叙された。延享元年(1744年)5月15日には修理少進に、同4年(1747年)3月16日には除目で主殿首に任じられた。寛延4年(1751年)6月22日には従五位下に叙され、宝暦元年(1751年)12月22日に大蔵大亟に任じられた。同9年(1759年)5月20日には従五位上に叙され、明和4年(1767年)2月4日には隠岐守を兼任した。同5年(1768年)10月1日には正五位下に、安永5年(1776年)1月19日に従四位下に叙され大亟の職を辞した。天明6年(1786年)10月28日には内豎頭に任じられ、同8年(1788年)3月16日には河内守を兼任した。寛政6年(1794年)11月4日に従四位上に叙され、同12年(1800年)4月20日に死去した。