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渡辺珍之

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
渡辺珍之
時代 江戸時代後期
生誕 享保19年11月2日1734年11月26日
死没 寛政12年4月20日1800年5月13日
官位 従四位上、修理少進、主殿首、大蔵大亟、隠岐守、内豎頭、河内守
主君 中御門天皇桜町天皇桃園天皇後桜町天皇後桃園天皇光格天皇
氏族 嵯峨源氏渡辺氏
父母 父:渡辺珍亮、母:中村元長
鈴鹿敬芳
珍香山口敬昌三谷諭脇屋利貞村雲主信
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渡辺 珍之(わたなべ よしゆき)は江戸時代地下官人

概要

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地下家伝』によると渡辺宮内少輔源昌の子孫とされる。

寛保3年(1744年)2月10日に10歳で正六位下に叙された。延享元年(1744年)5月15日には修理少進に、同4年(1747年)3月16日には除目で主殿首に任じられた。寛延4年(1751年)6月22日には従五位下に叙され、宝暦元年(1751年)12月22日に大蔵大亟に任じられた。同9年(1759年)5月20日には従五位上に叙され、明和4年(1767年)2月4日には隠岐守を兼任した。同5年(1768年)10月1日には正五位下に、安永5年(1776年)1月19日に従四位下に叙され大亟の職を辞した。天明6年(1786年)10月28日には内豎頭に任じられ、同8年(1788年)3月16日には河内守を兼任した。寛政6年(1794年)11月4日に従四位上に叙され、同12年(1800年4月20日に死去した。

脚注

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注釈

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出典

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