正面橋
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正面橋(しょうめんばし)は、京都市正面通の鴨川に架かる橋である[1]。
正面通は方広寺大仏(京の大仏)の正面に至る通りの意だが、大仏は失われて、今日豊国神社が立地している。
概要
[編集]元和5年(1619年)に江戸幕府2代将軍徳川秀忠の命令で、京都のキリシタンが多数、火あぶりで処刑された(京都の大殉教)[2]。宣教師ジラン・ロドリゲスの著したイエズス会年報に「ミヤコの東部を囲み南に向かって流れる川(鴨川)の近くに処刑のための十字架を立てた。十字架は有名な大仏に向かいあっていた。この大仏というのは、最も大きな寺院で、日本で最大で、最も豊満な仏である。」という記事があることから、処刑場所は正面橋近辺と考えられており、正面橋東詰には「元和キリシタン殉教の地」という碑が建てられている[2]。
脚注
[編集]- ^ https://www.city.kyoto.lg.jp/kensetu/cmsfiles/contents/0000114/114681/keikaku.pdf
- ^ a b 谷川彰英『京都地名の由来を歩く』ベストセラーズ、2015年