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桶谷繁雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
糠漬けの仕込み中(1954年)

桶谷 繁雄(おけたに しげお、1910年11月10日 - 1983年2月12日)は、日本の金属学者、科学・社会評論家

東京工業大学名誉教授。専攻は金属結晶学

来歴

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桶谷清吉の長男として東京浅草に生まれ、花柳界の中心地で育った[1][2]

暁星中学校吉田健一と同級生。東京高校理科乙類で級長。このとき、同学年の理科甲類の級長が糸川英夫だったが、糸川の首席は「余力のあるトップ」で桶谷より遥かに優秀だったという[3]

東京帝国大学工学部冶金学科卒業後、フランス政府招聘留学生として1935年にブザンソン大学物理研究所に留学し、2年の滞在後、東大工学部副手を経て、1942年に東京工業大学助教授となる[1][4]

1949年にパリのフランス国立中央科学研究所研究員として再度留学[5]工学博士、東京工業大学教授を務め、名誉教授、京都産業大学教授。

1947年、春日 迪彦の筆名で、小説「フライブルグの宿」により夏目漱石賞佳作。パストゥールの評伝のほか、社会評論なども多く雑誌に寄稿した。

1961年11月15日、原水爆禁止日本協議会(原水協)が分裂し、「核兵器禁止平和建設国民会議」(核禁会議)が発足。議長に松下正寿、副議長に桶谷、和田春生平林たい子、若原譲の4人、事務局長に寒河江善秋が選出された[6][7]

1979年2月24日、国際勝共連合と自民党の国防関係国会議員が中心となり、「スパイ防止法制定促進国民会議」が設立された[8][9][10][11]。呼びかけ人は木内信胤朝比奈宗源宇野精一郷司浩平宝井馬琴三輪知雄の6人[8]。サンケイ会館で設立発起人総会が開かれ、桶谷は発起人に名を連ねた[注 1]

著書

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  • 『金属材料簡易鑑別法』(大雅堂) 1946
  • 『愛の科学者』(日本科学社) 1947
  • 『ルイ・パストゥールの生涯 愛の科学者』(日本科学社) 1948
  • 『新しいパリ新しいフランス』(文藝春秋新社) 1952
  • 『シャイロックのごとく』(読売新聞社、読売新書) 1953
  • キュリー夫人』(講談社) 1954
  • 『フライブルグの宿 科学と文学』(朝日新聞社、朝日文化手帖) 1954
  • 『現代文明を担う人々』(新潮社、一時間文庫) 1955
  • 『欧州スクーター旅行』(毎日新聞社) 1958
  • 『逃亡将校』(角川書店) 1960
  • 『ソ連 自動車旅行』(文藝春秋社) 1961
  • 『金属と人間の歴史 - 日本人がつくりだしたもの、草薙剣奈良大仏日本刀種子島』(講談社ブルーバックス) 1965、のち改題『金属と日本人の歴史』(講談社学術文庫) 2006
  • 『現代に抗議する』(日本教文社) 1969
  • 『電子線回折による金属炭化物の研究』(アグネ) 1971
  • 『大新聞の虚像・実像』(日本教文社) 1974
  • 『性悪説のすすめ 私の教育論』(日本経済通信社、NKTブックス) 1977
  • 『二十一世紀に向かって 随筆集』(国鉄厚生事業協会) 1978
  • 『逆転!!人間の否定へ 安全・公害問題にみる無理解とエゴイズム』(千代田書房) 1979
  • 「フライブルグの宿」 1948 - 夏目漱石賞第一回受賞作品

翻訳

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  • 『ルヰ・パストゥール』(ヴァレリー・ラド、冨山房) 1941 、のち改題『パスツール伝』
  • ル・マン自動車レース』(J・A・グレゴワール、集英社) 1963
  • 『キュリー夫人』(ドーリー、講談社) 1972、のち少年少女講談社文庫、のち火の鳥伝記文庫
  • シムノンメグレ警視』(ジル・アンリ、河出書房新社) 1980

テレビ出演

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脚注

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注釈

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  1. ^ 「スパイ防止法制定促進国民会議」の主たる発起人は以下のとおり。久保木修己松下正寿神川彦松大石義雄江木武彦瓦林潔白井浩司升本喜兵衛、桶谷繁雄、尾上正男井本臺吉三上英雄黛敏郎中河与一桜田武天野武一白井永二弟子丸泰仙安岡正篤加瀬英明松本明重村田五郎加藤陽三西村直己柏村信雄鈴木一杉田一次世界日報社社長の石井光治、中外日報社社長の本間昭之助など[8]

出典

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  1. ^ a b 桶谷繁雄『人事興信録』第15版 上
  2. ^ 『世は〆切』山本夏彦、文藝春秋, 1999/04/10,p271
  3. ^ 草柳大蔵『実力者の条件』p.172
  4. ^ 岡田大士, 「東京工業大学における戦後大学改革に関する歴史的研究」 東京工業大学 博士論文, 甲第6209号, 2005年, NAID 500000351703
  5. ^ 『人事興信録』第一巻、1953年
  6. ^ ヒロシマの記録1961 11月”. ヒロシマ平和メディアセンター. 中国新聞社. 2023年10月2日閲覧。
  7. ^ 年表”. 核兵器廃絶・平和建設国民会議. 2023年9月26日閲覧。
  8. ^ a b c 茶本繁正「ファシズムの尖兵・勝共連合」 『社会主義』1979年7月号、社会主義協会、68-73頁。
  9. ^ 当団体について”. 「スパイ防止法」制定促進サイト. スパイ防止法制定促進国民会議. 2023年2月17日閲覧。
  10. ^ 専修大学社会科学研究所月報 No.273” (1986年4月20日). 2022年11月14日閲覧。
  11. ^ 深草徹. “今、再び特定秘密保護法を考える”. 2022年11月14日閲覧。

外部リンク

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