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桃源社

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株式会社桃源社(とうげんしゃ)は、1951年昭和26年)から1981年(昭和56年)まで活動した日本出版社

時代小説探偵小説などの大衆小説や、澁澤龍彦などのいわゆる「異端文学」の出版を広く手がけた。特に、1968年(昭和43年)より戦前の大衆小説のシリーズ「大ロマンの復活」を刊行し、国枝史郎小栗虫太郎橘外男海野十三らの探偵小説・怪奇幻想小説のリバイバル・ブームを引き起こしたことで知られる。他にも多くの特色ある全集・選集を出版している。

住専事件への関与で知られる不動産会社の「桃源社」(佐佐木吉之助社長)は、同名異業種の別企業で、無関係である(社名はどちらも桃源郷にちなむ)。

沿革

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創業者は矢貴東司(やぎ とうじ、1907年3月20日 - 1988年8月19日[1]。矢貴は、1923年(大正12年)12月に書籍販売業として「矢貴書店」を創業し、1940年(昭和15年)頃[注釈 1]に出版部を設け出版事業に参入。その後、1951年(昭和26年)9月に矢貴書店出版部を解散、同年12月6日、株式会社桃源社を創業した[2]。社名は桃源郷に由来する[3]

創業以来、主に時代小説・探偵小説などの大衆小説の出版を手がけており、柴田錬三郎吉川英治��山手樹一郎山岡荘八川口松太郎など人気作家の作品を刊行してきた[1]

1959年(昭和34年)、東司の子の矢貴昇司(やぎ しょうじ、1934年生)が入社した[4]。昇司は八木昇(やぎ のぼる)の筆名で、編集者、大衆文学研究者として知られている[注釈 2]。のち、父の後を受け継ぎ二代目社長となった[5]

八木昇は江戸川乱歩の『探偵小説四十年』(1961年)の出版を担当し[4][注釈 3]、さらに、乱歩生前最後の全集となった桃源社版『江戸川乱歩全集』(全18巻、1961年 - 1963年)を出版した。また、『宝石』に連載されていた澁澤龍彦の『黒魔術の手帖』に着目し、同書(1961年刊)の刊行を手がけたのをきっかけに、澁澤の著書・訳書の出版を多く手掛けることになる[6][7]。同社から刊行された澁澤の著書には、他に『犬狼都市』(1962年)、『エロスの解剖』(1965年)、『異端の肖像』(1967年)、『澁澤龍彦集成』全7巻(1970年、最初の著作集)、『妖人奇人館』(1971年)、『女のエピソード』(1972年)、『悪魔の中世』(1979年)など、また、澁澤の訳書には、ユイスマンさかしま』(1962年)、『マルキ・ド・サド選集』全6巻(1962-64年)、『新・マルキ・ド・サド選集』全8巻(1965-66年)、A・ビアズレー『美神の館』(1968年)などがある。

「大ロマンの復活」シリーズの刊行

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1968年(昭和43年)8月、国枝史郎の『神州纐纈城』を刊行した。同作は1925年から1926年にかけて『苦楽』に連載されたが未完に終わっており、そのため、春陽堂書店の日本小説文庫から『神州纐纈城 前篇』として部分的に刊行されただけで、国枝史郎の代表作とされながら、それまで完全な形で刊行されたことはなかった。同書は小田富弥による初出時の挿絵を再録した��、真鍋元之の解説、尾崎秀樹の前宣伝を得て発売され、三島由紀夫から激賞を受けるなど好評を博した[8]

この『神州纐纈城』がきっかけで「怪奇幻想ブーム」が始まったとされているが、八木昇は「結果としてたまたまそうなっただけで、意識的にそういうことを狙って出したわけではありません」[9]と語っている。

続いて同年12月、小栗虫太郎の『人外魔境』を、都筑道夫による解説をつけて刊行した。1939年から1941年にかけて『新青年』に掲載されたシリーズで、小栗の生前に単行本に再録されたことはあるが、一冊にまとめられたのはこれが初めてであった[10]。八木昇によれば、小栗虫太郎作品の復刻は澁澤龍彦から薦められたもので、『神州纐纈城』の成績が良かったら出版するつもりでいたという[11]

1969年3月、三冊目となる国枝史郎『蔦葛木曽桟つたかずらきそのかけはし』を刊行。このあたりから、広告の謳い文句として「大ロマンの復活」を用い始める[12]。もともとは「恐る恐る出してみて、好かったら続けようという程度」[11]で、明確なシリーズとして発行していたわけではなく、シリーズ名もつけられていなかったが、次第に「大ロマンの復活」シリーズ[12]、あるいは「大ロマン・シリーズ」[13]と呼ばれるようになる。

シリーズ編集の基本理念は、「できるかぎりきちんとした形で出して、昔の探偵小説・大衆小説はこういうものだったんだよということを、いまの読者に分かってもらえたらいいだろう」というものだった[14]。シリーズでは小栗虫太郎のほぼ全作品を刊行した(のちに再編集されて『小栗虫太郎全作品』となる)[注釈 4]ほか、海野十三『深夜の市長』『地球要塞』『火星兵団』、久生十蘭『真説・鉄仮面』(初単行本化)、牧逸馬『世界怪奇実話』(初めてシリーズ全作品を収録)、野村胡堂『奇談クラブ』、蘭郁二郎『地底大陸』、香山滋『海鰻荘奇談』などを刊行した[15]。上述のように「大ロマンの復活」は広告上の謳い文句にすぎないため、どこまでがシリーズに含まれるかは曖昧であるが、八木自身は、『神州纐纈城』から小栗虫太郎『成層圏魔城』(1971年7月刊)までの「函入りの二十何冊か」としている[16]。また、並行して三六判カバー装の「日本ロマンシリーズ」も刊行されており、このシリーズからは白井喬二『怪建築十二段返し』(1970年)、野村胡堂『二万年前』(1970年)、押川春浪海底軍艦』(1970年)、黒岩涙香『暗黒星』(1972年)、押川春浪『怪人鉄塔』(1972年)などが刊行された[17][16]

同時期に講談社から『江戸川乱歩全集』(第1次、1969年4月 - 1970年6月)、三一書房から『夢野久作全集』(1969年6月 - 1970年1月)・『久生十蘭全集』(1969年11月 - 1970年6月)などが立て続けに出版されたことも手伝い、それまで半ば忘れられた状況にあった、戦前の探偵小説・怪奇幻想小説の再評価を促すことになった[13]

廃業

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1981年(昭和56年)11月刊行の栗本薫『神変まだら蜘蛛』を最後に出版活動を停止した[18]。八木昇によれば「もう新しいことをやるプランもだんだんなくなってきた」ので「少しずつ撤退して」いき、会社はしばらく残していたが「株式会社の資本金が改正されたころに社を閉じ」たという[18]。『文藝年鑑』では2002年版を最後に社名が消えている[18]

主要出版書

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「大ロマンの復活」シリーズ

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以下のリストは新保博久『ミステリ編集道』所収「〈大復活時代〉年表」[19]に基づく。新保は、1975年刊のカバー装3冊も、広告に「大ロマンの復活」と謳われていることからシリーズに含めている[16]

  • 国枝史郎『神州纐纈城』(1968年8月)
  • 小栗虫太郎人外魔境』(1968年12月)
  • 国枝史郎『完本 蔦葛木曽桟』(1969年3月)
  • 橘外男『橘外男傑作集 青白き裸女群像・他』(1969年4月)
  • 小栗虫太郎『二十世紀鉄仮面・他』(1969年5月)
  • 海野十三『海野十三傑作集I 深夜の市長』(1969年6月)
  • 海野十三『海野十三傑作集II 地球要塞』(1969年6月)
  • 久生十蘭『真説・鉄仮面』(1969年6月)
  • 小栗虫太郎『成吉思汗の後宮』(1969年7月)
  • 国枝史郎『沙漠の古都』(1969年8月)
  • 小栗虫太郎『完全犯罪』(1969年9月)
  • 野村胡堂『野村胡堂叢集 奇談クラブ』(1969年9月)
  • 野村胡堂『野村胡堂叢集 美男狩』(1969年10月)
  • 牧逸馬『世界怪奇実話 I』(1969年10月)
  • 牧逸馬『世界怪奇実話 II』(1969年11月)
  • 横溝正史鬼火 完全版』(1969年11月)
  • 小栗虫太郎『黒死館殺人事件』(1969年12月)
  • 蘭郁二郎『地底大陸』(1969年12月)
  • 香山滋『海鰻荘奇談』(1969年12月)
  • 海野十三『海野十三傑作集III 火星兵団』(1970年1月)
  • 山中峯太郎『万国の王城』(1970年1月)
  • 角田喜久雄『妖棋伝』(1970年3月)
  • 野村胡堂『野村胡堂叢集 岩窟の大殿堂』(1970年3月)
  • 国枝史郎『八ヶ嶽の魔神』(1970年5月)
  • 小栗虫太郎『紅殻駱駝の秘密』(1970年5月)
  • 小栗虫太郎『絶景万国博覧会』(1970年9月)
  • 小栗虫太郎『成層圏魔城』(1971年7月)
  • 橘外男『伝奇耽美館』(1975年7月)
  • 国枝史郎『妖異全集』(1975年9月)
  • 渡辺啓助『地獄横丁』(1975年11月)

主な全集・選集

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個人集

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  • 角田喜久雄探偵小説選集』全7巻(1955年 - 1956年)
  • 山手樹一郎自撰集』全14巻(1955年 - 1957年)
  • 『角田喜久雄長篇小説選集』全12巻(1958年 - 1959年)
  • 源氏鶏太青春小説選集』全15巻(1959年 - 1963年)
  • 江戸川乱歩全集』全18巻(1961年 - 1963年)
  • マルキ・ド・サド選集』全6巻(1962年 - 1964年)
  • 『山手樹一郎長編選集』(1962年 - 1968年)
  • 山田風太郎奇想小説全集』全6巻(1964年 - 1965年)
  • 『新・マルキ・ド・サド選集』全8巻(1965年 - 1966年)
  • 澁澤龍彦集成』全7巻(1970年)
  • 『加田伶太郎全集』全1巻(1970年)=福永武彦の変名
  • 高垣眸全集』全4巻(1970年 - 1971年)
  • 浜尾四郎全集』全2巻(1971年)
  • 梶山季之傑作集成』全30巻(1972年 - 1974年)
  • 黒岩重吾傑作集成』全18巻(1973年 - 1975年)
  • 曽野綾子作品選集』全12巻(1974年 - 1975年)
  • マゾッホ選集』全4巻(1976年 - 1977年)
  • 小栗虫太郎全作品』全9巻(1979年)
  • 押川春浪軍艦全集』全3巻(1979年)
  • 海野十三集』全4巻(1980年)

その他

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脚注

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注釈

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  1. ^ 文献によって年代が一致しない。杉村 1969, p. 21 では「昭和十四年」、日外アソシエーツ 2013, p. 401では「昭和15年」、八木昇の回想(新保 2015, p. 98)では「昭和十六年か」となっている。
  2. ^ 著書に『大衆文芸図誌』(新人物往来社、1977年)、『大衆文芸館』(白川書店、1978年)などがある。なお日本社会党衆議院議員・八木昇は別人。
  3. ^ 乱歩は謝辞で矢貴昇司(八木昇)のことを「副社長」と記しているが、実際には当時は専務だった(新保 2015, p. 93)。
  4. ^ ただし、現代教養文庫版『小栗虫太郎傑作選』の校訂を行った松山俊太郎は、桃源社発行の小栗虫太郎作品は校正が不十分であり、特に、小栗作品の特徴であるルビの多くが恣意的に落とされていることを指摘している(松山俊太郎「『二十世紀鉄仮面』の校定」『青い鷺 小栗虫太郎傑作選III』社会思想社現代教養文庫〉、1976年5月30日、401-403頁。ISBN 4-390-10888-3 )。

出典

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  1. ^ a b 日外アソシエーツ 2013, p. 401.
  2. ^ 杉村 1969, p. 21.
  3. ^ 新保 2015, p. 98.
  4. ^ a b 新保 2015, p. 93.
  5. ^ 新保 2015, p. 83.
  6. ^ 矢貴 & 種村 1996.
  7. ^ 新保 2015, pp. 86–87.
  8. ^ 新保 2015, pp. 84–88, 97.
  9. ^ 八木 2012, p. 374.
  10. ^ 八木 2012, pp. 375–376.
  11. ^ a b 新保 2015, p. 87.
  12. ^ a b 新保 2015, p. 89.
  13. ^ a b 八木 2012, p. 376.
  14. ^ 八木 2012, p. 380.
  15. ^ 八木 2012, pp. 377–379.
  16. ^ a b c 新保 2015, p. 92.
  17. ^ 八木 2012, p. 378.
  18. ^ a b c 新保 2015, p. 97.
  19. ^ 新保 2015, pp. 99–102.

参考文献

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関連項目

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  • 沖積舎 - 桃源社発行書籍の多くを復刻している。