コンテンツにスキップ

根鈴雄次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
根鈴 雄次
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 東京都
生年月日 (1973-08-09) 1973年8月9日(51歳)
身長
体重
175 cm
101 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 外野手内野手
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 新潟アルビレックスBC (2007 - 2008)
  • 徳島インディゴソックス (2013)

根鈴 雄次(ねれい ゆうじ、1973年8月9日 - )は、元プロ野球選手外野手)、コーチ

経歴

[編集]

高校・渡米・大学時代

[編集]

日大藤沢高校では1年生時からレギュラーで4番を務めるほどの実力があったが、体育会系部活にありがちな上下関係に対する嫌悪感や、家庭内でも両親が離婚するなど多くの問題を抱えていた。そのことから自律神経失調症を患い、不登校→留年→退学となる。留年後の学業では留年したことから野球部に戻れないこともあり、16歳から18歳まで野球をしないで過ごす。

高校を中退後、10代で渡米。地元の高校入学を目指したものの、留学斡旋の会社に騙され入学は許可されず、語学学校に通いながらバッティングセンターに通う日々を送る。バッティングセンターのオーナーから大学の監督を紹介されたり、オープントライアウトでスカウトの目に留まるが、学生ビザが切れたため、高卒の資格を取得するため日本に戻る決心をする[1]

帰国後、東京都立新宿山吹高等学校(単位制)に入学[2]。同高校卒業後、1996年指定校推薦法政大学法学部に進学すると同時に、法政大学野球部に入部。東京六大学野球リーグでは主に代打で活躍する。1998年には、東京六大学野球春季リーグ戦・対慶應義塾大学1回戦で史上2人目の代打逆転サヨナラホームランを放つ。

再渡米・海外球界時代

[編集]

2000年法政大学卒業後再度渡米し、モントリオール・エクスポズと契約。マイナーリーグからメジャー昇格を目指した。メジャー直前の3Aオタワまで昇格し、55試合に出場。打率.247、16打点、2本塁打という成績だった。このマイナーリーグ時代に大家友和から本塁打を放っている。

2001年、開幕直前に解雇された。解雇後はアメリカ独立リーグであるフロンティアリーグエバンズビル・アターズノーザンリーグセントポール・セインツでプレー。同年秋に帰国し、日本ハムファイターズ千葉ロッテマリーンズなど複数の球団の入団テストを受ける。長打力を認められ、ロッテからは「内定を得た」とも報じられた[3]。しかし、その後の練習中に右手首を捻挫してしまうといった故障の不安、当時28歳という年齢が若返りを図るチーム方針に合わないという理由で、最終的に獲得は見送られた[4]

その後は、2002年リーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルプエブラ・パロッツセントラル・ベースボール・リーグジャクソン・セネターズでプレーしたが手を骨折して解雇された[2]

2003年カナディアン・ベースボール・リーグロンドン・マナークス2004年ノース・イーストリーグエルマイラ・パイオニアーズ2005年は、ゴールデン・ベースボール・リーグジャパン・サムライ・ベアーズ2006年はオランダのプロ野球リーグのホーフトクラッセDOORネプテューヌスでプレーするなど各地を渡り歩いた[2]

日本・独立リーグ時代

[編集]

2007年ベースボール・チャレンジ・リーグ新潟アルビレックス・ベースボール・クラブに選手兼打撃コーチとして入団。2008年も在籍し、根鈴にとって2シーズン以上同じ球団に在籍したのは、新潟が初めてだった。2008年6月13日の対群馬ダイヤモンドペガサス戦で6回に本塁打を打ってダイヤモンドを回る際に、群馬の投手・富岡久貴やベンチに対して暴言や挑発行為を行った。群馬の投手の死球に対する不満がチームにあった模様であるが[5]、リーグは「非紳士的行為」として根鈴に3試合の出場停止処分を下した(また、富岡には、ブログ内でファンに根鈴の行動に対しての意見を求める書き込みがあったため、警告処分が下されている)。選手に対する出場停止はリーグで初めてである。さらに、10月2日の対群馬戦では審判に対する侮辱行為があったとして、10月10日にリーグより5試合の出場停止処分が下されたが、翌11日に球団より同日付での戦力外通告とコーチ契約を更新しないことが発表され、退団が決まった。

2009年1月9日に四国・九州アイランドリーグ長崎セインツに入団。根鈴は長崎セインツと提携関係にあったアメリカの独立リーグセントポール・セインツにも所属経験がある[6]。同年のシーズンは同じく新潟から移籍した末次峰明とともに前期優勝を果たしたチームの主軸となり、打率.323、本塁打11、打点46を記録した。

2010年シーズンは打率.302、本塁打5、打点35の成績でリーグのベストナインに指名打者で選出された。同年シーズンで長崎セインツはリーグから撤退・解散することとなったが、根鈴はリーグの救済ドラフト指名者には含まれなかった[7](ドラフト希望を出したかどうか不明)。その後、アイランドリーグのトライアウトに参加し、徳島インディゴソックスから入団指名を受けた[8]

2011年のシーズンはリーグ6位の打率.344を記録。初の年間総合優勝を達成したチームの主軸となり、監督の斉藤浩行からは「年齢の離れた若手たちを相手に、いいコーチ役を務めてくれた」「チームをひとつにする上で大きかった」と評価されている[9]

2012年のシーズンは64試合に出場し、チームトップの34打点を記録したが、シーズン終了後に引退。

現役引退後

[編集]

2013年のシーズンから徳島のアシスタントコーチに就任し[10]、1シーズン務めた。2013年シーズンの契約期間満了をもって徳島を退団[11]。徳島を退団した理由について根鈴は2014年のインタビューで、選手でないことへの不満と、家庭の事情(コーチ就任後、徳島へは単身赴任生活となっていた)を挙げている[12]

2014年3月から2017年2月まで、養父鐵が運営する「ルーツ・ベースボールアカデミー」でヘッドコーチを務め、主にバッティングを指導[12][13]

2017年6月、自身の野球塾「アラボーイベースボール・根鈴道場」を立ち上げた[14]。従来のセオリーとは異なる打撃論を確立し、2018年オフから指導していた杉本裕太郎が2021年に本塁打王を獲得したことで注目を浴びる[15]。杉本とのつながりは、オリックスのブルペン捕手を務めていた瓜野純嗣(元福岡レッドワーブラーズ)からの紹介だった[16]

人物

[編集]

法政大学に入学後、野球部に入部したものの、プロ経験(スカウティングリーグ在籍)があったと疑われたことを理由に東京六大学野球連盟から登録を却下された。連盟から登録が認められたのは1年生時の8月のことだった(『神宮球場ガイドブック』より)。

2006年秋に入籍、同年12月に結婚式を挙げる。妻との間には子どもが1人(長男)いる。

指導した主な選手

[編集]

詳細情報

[編集]

年度別打撃成績

[編集]
BCリーグ










































O
P
S
2007 新潟 64 217 36 85 16 2 10 135 59 3 0 2 46 6 15 3 .392 .506 .622 1.128
2008 66 212 30 55 14 0 8 93 34 1 0 3 34 12 28 3 .259 .387 .439 .826
通算:2年 130 429 66 140 30 2 18 228 93 4 0 5 80 18 43 6 .326 .447 .531 .979
四国アイランドリーグplus




































2009 長崎 73 220 35 71 11 1 11 46 0 0 1 35 15 19 .323 .446
2010 66 205 20 62 11 0 5 35 1 0 2 31 10 26 .302 .415
2011 徳島 59 186 19 64 13 0 5 34 0 0 1 15 8 18 .344 .414
2012 64 195 18 53 3 0 6 34 1 0 5 14 14 15 .272 .355
通算:4年 262 806 92 250 38 1 27 149 2 0 9 95 47 78 .310 .410

背番号

[編集]
  • 1 (2007年、2009年 - 2010年)
  • 89 (2008年)
  • 44 (2011年 - 2013年)

関連情報

[編集]

著書

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 野手初の日本人メジャーリーガーになっていたかも…ミスター独立リーグ、根鈴雄次氏 産経ニュース(2013年1月20日)
  2. ^ a b c 二宮清純 (2007年12月20日). “海外独立リーグの実態 ~新潟アルビレックスBC・根鈴雄次~”. 2011年4月19日閲覧。
  3. ^ 当時、isze.comスポーツ(2002年3月閉鎖)の2001年10月12日付において「フリー打撃でサク越えを放つなどパワーをアピールし、山本監督から「合格」のお墨付きをもらった」「今ドラフトの指名を待って、正式に入団が決定する」と記されていた。
  4. ^ スポーツ報知2001年10月26日付。編成部長・広野功の「獲得は白紙にしました」とのコメントがある。
  5. ^ 《BCLペガサス初陣の軌跡(3)》打倒新潟 挑発に雪辱地区V 上毛新聞2008年10月28日。この記事の中で、富岡は「自分の2度の死球が根鈴の行為のきっかけ」と悩んでいたと記されている。
  6. ^ 二宮清純 (2009年1月15日). “元BCリーグ新潟・根鈴が長崎へ”. 2011年4月19日閲覧。
  7. ^ 長崎球団所属選手救済ドラフトの結果について - 四国・九州アイランドリーグニュースリリース(2010年10月13日)
  8. ^ トライアウト合格���とその入団交渉権獲得球団決定 - 四国・九州アイランドリーグニュースリリース(2010年12月13日)
  9. ^ 野球西国巡り第130回 SPORTS COMMUNICATIONS 2011年7月19日
  10. ^ 徳島IS 根鈴選手現役引退及び2013年新体制について - 四国アイランドリーグplusリーグニュースリリース(2012年12月17日)
  11. ^ 徳島IS来季のコーチ契約について - 四国アイランドリーグplusニュースリリース(2013年12月21日)
  12. ^ a b その後のサムライたち:根鈴雄次編1”. 阿佐智の「アサスポ・ワールド・ベースボール」 (2014年7月27日). 2015年2月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年4月13日閲覧。
  13. ^ ROOTS BASEBALL ACADEMY. “ルーツベースボールアカデミーからのお知らせです。”. Facebook. 2023年4月13日閲覧。
  14. ^ a b 喜瀬雅則 (2022年7月19日). “オリックス“ラオウ”杉本裕太郎を覚醒!“イチローを超えかけた男”根鈴雄次が語る「打撃理論の神髄」”. デイリー新潮. 2023年4月13日閲覧。
  15. ^ a b c 栗田シメイ; 小川正行 (2022年3月30日). “ラオウに「鬼ダウンスイング」を授けた根鈴雄次が語る覚醒秘話。中日・根尾昂にも「きっと合う」”. スポルティーバ 公式サイト web Sportiva. 2023年4月13日閲覧。
  16. ^ 米虫紀子 (2023年4月10日). “猛牛のささやき 「仕事は過酷、給料はカツカツ」二軍時代は苦労も…それでも諦めなかった“日本一のブルペン捕手” 13年オリックスを支えた瓜野純嗣の野球人生 (3/4ページ)”. Sports Graphic Number web. 2023年11月25日閲覧。
  17. ^ 世界の独立リーガー根鈴 雄次さんに聞く!筋力トレーニングに取り組む考え方!”. 高校野球ドットコム (2015年1月12日). 2023年4月13日閲覧。
  18. ^ a b c d e About Yuji Nerei コーチ紹介”. アラボーイベースボール【根鈴道場】. 2023年4月13日閲覧。

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]