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柳家さん遊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
柳家やなきや さんゆう
Yanagiya San'yû
柳家(やなきや) さん遊(ゆう) Yanagiya San'yû
柳家さん遊定紋
剣片喰けんかたばみ
本名 なか 義夫よしお
生年月日 (1945-01-28) 1945年1月28日(79歳)
出身地 日本の旗 日本東京都
師匠 五代目柳家小さん
名跡 1. 柳家小よし
(1965年 - 1970年)
2. 柳家小三太
(1970年 - 1980年)
3. 六代目柳亭小燕枝
(1980年 - 2020年)
4.柳家さん遊
(2020年 - )
出囃子 三社祭
活動期間 1965年 -
所属 落語協会
受賞歴
第1回 NHK新人落語コンクール 最優秀賞(1972年)
第1回 浅草芸能大賞新人賞(1984年)

柳家 さん遊(やなぎや さんゆう、1945年[1]1月28日 - )は、東京都練馬区生まれの落語家。本名∶中 義夫落語協会所属。出囃子は「三社祭」。

経歴

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東京工業高校卒業。噺家になりたいと思いつつも、親のために一度は諦めて社会人になった経験を持つ。

1965年3月、五代目柳家小さんに入門し、本名から取った前座名「柳家小よし」を名乗る。

1970年4月、柳家小団治三遊亭旭生むかし家今松と共に二ツ目昇進し「柳家小三太」と改名。二ツ目になるとき師匠に相談したら「小團治」と「小三太」が余っており、同時昇進の武助と二人でジャンケンで決めなさいと言われたが、武助が「ジャンケンでなく、彼女に相談して決めてもいいですか」と言い、その結果武助の彼女が小團治を選んだので、さん遊は「小三太」になった。

1980年4月、真打昇進し「六代目柳亭小燕枝」を襲名。師匠・五代目柳家小さんが襲名する予定だった名前だが、五代目小さん本人はこの名前を気に入っていなかったという。

2020年7月1日、「柳家さん遊」と改名。本来は年度当初に改名する予定だったが、コロナのごたごたで伸びてしまった。

芸歴

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人物

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三遊亭歌司三遊亭圓丈古今亭志ん駒六代目柳家小団治柳家さん八三遊亭圓龍むかし家今松初代古今亭志ん五二代目金原亭馬の助橘家竹蔵柳家小袁治と共に同期会「落友舎」を結成している。

桂藤兵衛四代目入船亭扇蔵と共に定期的な落語会を開いている。

師匠小さんに『道灌』を教わ���た際、「その人間の料簡になれ」とだけ教わった。

楽屋ではトンガリの正蔵(林家彦六)、小トンガリの小さん(五代目小さん)と言われるほど師匠が短気だったため、内弟子であったさん遊(当時小よし)は小言を喰らう機会も多かった。当人曰く、大師匠の桂文楽は雲の上の人であったと話しており、また寄席では三遊亭圓生に気に入られていたと話している。

愛煙家であるが医者に禁煙を勧められ、禁煙をしていた時期がある。

演目

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NHK Eテレで放送されていた「てれび絵本」えほん寄席では、「馬のす」「つる」の出演・声の出演をしている。また音源として「談志が選んだ艶噺し」では「蛙茶番」を、「艶ばなし落語」では「五人廻し」を残しているが、寄席で艶噺しをすることは稀である。

受賞

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脚注

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注釈

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  1. ^ 柳家小三太時代。
  2. ^ 柳亭小燕枝時代。

出典

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  1. ^ 従来、1943年生まれとされていたのが、戸籍を確認したら1945年生まれであったという。『落語』36号「東京落語家名鑑」

外部リンク

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