松本家
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松本家 | |
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波の丸・三亀甲 | |
本姓 | 称・宇多源氏 |
家祖 | 松本興正 |
種別 |
医家 華族(男爵) |
著名な人物 | 松本良順 |
凡例 / Category:日本の氏族 |
松本家(まつもとけ)は、元禄5年(1692年)以来江戸幕府に仕えた医家の家系。宇多源氏を称す。家紋は波の丸ほか。本国は陸奥(会津)。善甫という名乗りを世襲した。家禄は200俵10人扶持。���科(歯科)を業とする。
天明6年(1786年)に一旦絶家となるが、弘化3年(1846年)に再興する。のち松本良順の功績により男爵家となる。
歴代
[編集]- 初代善甫・興正(? - 元禄8年(1695年)、円桂院) - 元禄5年(1692年)幕府召出、元禄6年(1693年)奥医師
- 2代善甫・尚興(寛文4年(1664年) - 延享2年(1745年)、諦了院) - 元禄13年(1700年)奥医師
- 3代善甫・興信(貞享元年(1684年) - 明和2年(1765年)、脩心院) - 享保20年(1735年)西丸奥医師
- 4代善甫・興長(享保15年(1730年) - 天明4年(1784年)、観月院) - 明和2年(1765年)奥医師
- 5代善甫・興世(宝暦12年(1762年) - 寛政7年(1795年)、松寿院) - 天明4(1784年)奥医師、天明6年(1786年)改易
- 6代良甫・善賢(? - 文政9年(1826年)、覚性院) - 生涯町医師
- 7代良甫・戴(文化3年(1806年) - 明治10年(1877年)) - 弘化3年(1846年)再召出、文久3年(1863年)奥医師。松本良順の養父。
系譜
[編集]松本興正1 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
尚興2 | 興信3 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
女子[* 1] | 興長4 | 邦昌[* 2] | 女子[* 3] | ||||||||||||||||||||||||||||||
興世5 | 善賢6 | 女子 | 女子 | ||||||||||||||||||||||||||||||
良甫7 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
良順8 | 登喜子[* 4] | ||||||||||||||||||||||||||||||||
本松9 | 銈太郎[* 5] | ||||||||||||||||||||||||||||||||
銈太10 | 順之助 | 正夫 | |||||||||||||||||||||||||||||||
和彦10 | 信彦 | 俊彦 | |||||||||||||||||||||||||||||||
茂彦11 | 知彦 | 文彦 | |||||||||||||||||||||||||||||||
- 『断家譜』『平成新修旧華族家系大成』より作成。
- 系譜脚注
伝承
[編集]握り鮨の創始者
[編集]伝えられるところでは、初代松本善甫は会津天満宮の祠官であったが故あって人を斬り、故郷を出奔したものという。一旦、上方に逃れたのち延宝年間(1672年 - 1681年)江戸お玉が池に住み、従来の押し鮨とは異なる、今日ふうの握り鮨を創始したという(以上、狩谷棭斎が祖母から聞いた話)。
延宝年間であれば、幕府医師に任官する以前の出来事である。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 斎木一馬・岩沢愿彦校訂『断家譜』第二、続群書類従完成会、1968年。
- 霞会館編『平成新修旧華族家系大成』吉川弘文館、1996年。