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松平重矩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
松平 重矩
時代 江戸時代前期 - 中期
生誕 寛文7年(1667年
死没 宝永3年6月12日1706年7月21日
改名 重矩、大重(法名)
別名 友之助、助右衛門、孫大夫
墓所 白峯寺
幕府 江戸幕府 大坂船手
主君 徳川綱吉
氏族 戸田氏深溝松平家
父母 父:戸田正吉、母:松平重次の娘
養父:松平重良、養母:大島義近の娘
兄弟 戸田勝房重矩戸田政則小笠原常春室(松平重良養女)
松平定由の娘
養子:勘敬
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松平 重矩(まつだいら しげとも)は、江戸時代前期から中期にかけての旗本

略歴

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戸田正吉の次男として誕生。母方の叔父にあたる松平重良の養子となる。

元禄11年(1698年)8月14日、5代将軍・徳川綱吉に拝謁。翌年7月9日家督を継ぎ寄合に列する。宝永元年(1704年)6月10日大坂船手に就き、同年9月7日に布衣の着用を許される。

宝永3年(1706年)6月12日、大坂にて40歳で死去。相模国白峯寺に葬られた。小笠原常春の次男で自身の甥にあたる[1]勘敬が家督を継いだ。

系譜

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父母

正室

養子

脚注

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  1. ^ 重矩の妹が小笠原常春に嫁いでいた。

参考文献

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  • 『寛政重脩諸家譜』第1輯,國民圖書,1922. 国立国会図書館デジタルコレクション 94コマ目 https://dl.ndl.go.jp/pid/1082717/1/94 (参照 2024-02-22)
  • 『寛政重脩諸家譜』第5輯,國民圖書,1923. 国立国会図書館デジタルコレクション 400コマ目 https://dl.ndl.go.jp/pid/1082718 (参照 2024-02-22)