東新湊駅
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東新湊駅 | |
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高岡駅方面ホーム(2015年4月) | |
ひがししんみなと Higashi-shimminato | |
◄中新湊 (1.0 km) (0.6 km) 海王丸► | |
所在地 | 富山県射水市八幡町 |
所属事業者 | 万葉線 |
所属路線 | ■万葉線(新湊港線) |
キロ程 |
1.3 km(越ノ潟起点*) 高岡駅から11.6 km |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面1線 |
乗降人員 -統計年度- |
111人/日 -2016年[1]- |
開業年月日 | 1930年(昭和5年)10月12日 |
* 新湊港線の起点として |
東新湊駅(ひがししんみなとえき)は、富山県射水市八幡町にある万葉線の駅。
歴史
[編集]富山市と射水郡新湊町(現:射水市新湊地区)を結ぶことを目指して富山北口駅から西へ延伸していた越中鉄道により、1930年(昭和5年)に「新湊東口駅」として開設された[2]。開設当初は新湊側の終着駅として放生津内川の右岸近くにあったが、1932年(昭和7年)の延伸に先立って東方に移転して「東新湊駅」に改称した。1937年(昭和12年)に付近に日本高周波重工業富山工場(現:日本高周波鋼業富山製造所)が進出し[3]、その後「東新湊高周波前駅」、「高周波前駅」と改称した。太平洋戦争の終戦時に「東新湊駅」に復して現在に至る。
年表
[編集]- 1930年(昭和5年)10月12日:越中鉄道の西越ノ潟駅 - 新湊東口駅間開業により、新湊東口駅(しんみなとひがしぐちえき)として開設[4]。所在地は富山県射水郡新湊町放生津[4]。
- 1932年(昭和7年)
- 1939年(昭和14年)4月1日:東新湊高周波前駅(ひがししんみなとこうしゅうはまええき)に改称[6]。
- 1942年(昭和17年):高周波前駅(こうしゅうはまええき)に改称[7]。
- 1943年(昭和18年)1月1日:越中鉄道が富山地方鉄道に合併し、射水線の駅となる。
- 1945年(昭和20年)8月15日:東新湊駅に改称[8]。
- 1966年(昭和41年)4月5日:射水線の分断により、加越能鉄道へ譲渡され、新湊港線の駅となる。
- 2002年(平成14年)4月1日:営業譲渡により、万葉線の駅となる。
駅構造
[編集]以前は現在よりもやや越ノ潟駅寄りにあり、駅舎を備え、駅員が配置されていた。また、島式ホーム1面2線で行き違い可能な駅であった。その他、かつては隣接する日本高周波鋼業への貨物引き込み線もあり、富山地方鉄道富山地方鉄道射水線の貨物も扱っていた。
利用状況
[編集]1日の平均乗車人員は以下の通りである。
年度 | 1日平均人数 |
---|---|
2000年度 | 50人 |
2001年度 | 47人 |
2002年度 | 47人 |
2003年度 | 7人 |
2004年度 | 30人 |
2005年度 | 52人 |
2006年度 | 50人 |
2007年度 | 49人 |
2008年度 | 57人 |
2009年度 | 58人 |
2010年度 | 61人 |
駅周辺
[編集]隣の駅
[編集]脚注
[編集]出典
[編集]- ^ 「Ⅷ 運輸」『射水市統計書』(PDF) 平成29年度版、射水市、56頁 。2023年9月20日閲覧。
- ^ 富山地方鉄道 1983, pp. 142–145.
- ^ 日本高周波鋼業 1970, pp. 35–36.
- ^ a b 「地方鉄道運輸開始」『官報』第1145号、内閣印刷局、531頁、1930年10月22日。NDLJP:2957612/5。
- ^ a b c d 「地方鉄道運輸開始」『官報』第1770号、内閣印刷局、571頁、1932年11月22日。NDLJP:2958241/9。
「正誤」『官報』第1771号、内閣印刷局、603頁、1932年11月24日。NDLJP:2958242/9。 - ^ 鉄道省監督局「地方鉄道、軌道事業の現況並に異動」『電気協会雑誌』第209号、電気協会、1939年5月、附録2頁、NDLJP:2364353/95。
- ^ 新潮社 2008.
- ^ 富山地方鉄道 1983, p. 882.
参考文献
[編集]- 日本高周波鋼業 編『日本高周波鋼業二十年史』日本高周波鋼業、1970年5月18日。全国書誌番号:70014615。
- 富山地方鉄道 編『富山地方鉄道五十年史』富山地方鉄道、1983年3月28日。全国書誌番号:84005008。
- 『日本鉄道旅行地図帳』6号 北信越、新潮社、2008年、34頁、ISBN 978-4-10-790024-1。