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束野 孝之丞(つかの こうのじょう[1]、1877年没)は、明治時代の武士(薩摩藩士)、軍人。
現在の宮崎県都城市出身[1]。1877年(明治10年)、15歳で薩摩軍に参加し、西南戦争で戦死した。
熊本市北区(旧植木町)の荻迫薩軍台場跡に墓碑が建立されており、墓碑銘は「東野」と刻まれているが誤記とされている[1]。没後55年を経た1932年(昭和7年)に、当時の陸軍大臣である荒木貞夫による慰霊碑が建立されている[1]。
『田原坂甚句』に歌われる「美少年」のモデルとされるが、モデルは束野一人ではないともされる[1]。
- ^ a b c d e 松田久彦「八女あれこれ14 「西南の役・余談」その二」 - 広報やめ(八女市役所)