村田昭
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むらた あきら 村田 昭 | |
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生誕 |
村田 昭 むらた あきら 1921年3月25日 日本・京都府京都市東山区泉涌寺 |
現況 | 故人 |
死没 |
2006年2月3日(84歳没) 日本・京都第二赤十字病院 |
死因 | 肺炎 |
住居 | 日本 |
国籍 | 日本 |
出身校 |
京都市立第一商業学校 (現:京都市立西京高等学校・附属中学校) |
職業 | 実業家 |
活動期間 | 1944年 - 2006年 |
肩書き |
村田製作所代表取締役名誉会長 日本電子材料工業会会長 |
任期 | 1991年 - 2006年 |
後任者 | 村田泰隆 |
子供 |
長男:村田泰隆(村田製作所相談役、前社長) 次男:村田理如(清水三年坂美術館創設者) 三男:村田恒夫(村田製作所代表取締役社長) |
受賞 | 1998年:アメリカ合衆国セラミックソサエティー名誉会員称号 |
村田 昭(むらた あきら、1921年(大正10年)3月25日 - 2006年(平成18年)2月3日)は、実業家である。村田製作所創業者・名誉会長・元会長・社長。
経歴
[編集]幼少期の頃は「病気のデパート」と呼ばれるほど病弱で、病床で文学書、子供向けの科学誌「子供の科学」などを読んで過ごしていた。
1936年(昭和11年)、京都市立第一商業学校(現:京都市立西京高等学校・附属中学校)を肺結核のため中退後、家業に専念。 特殊陶器、精密特殊磁器に注目し、製品化することにより事業を拡大。1944年(昭和19年)10月、村田製作所を創業する。
1950年(昭和25年)、法人化の後、京都大学との「産学協同」で酸化チタンコンデンサの開発に成功。セラミック半導体や通信機用フィルタを次々に開発し、通信機やテレビ向けなどの電子部品事業を拡大、チタンコンデンサの主力メーカーとして一大シェアを掌握した。1960年(昭和35年)代にはアメリカのGMより受注するなどいち早く海外に進出し、1973年(昭和48年)には日本の電子部品メーカーで初めてアメリカ合衆国内に工場を設立。京都を代表する大企業の創業者として活躍した。これだけの実業家でありながら、財政界にはほとんど顔を出さず、本業一本で生涯を全うした。
1991年(平成3年)、70歳になったのを機に、長男の村田泰隆に社長を譲り会長に就任。1995年(平成7年)からは名誉会長に就任し、その間は日本電子材料工業会会長なども歴任した。
セラミック業界への多大な貢献から、1998年(平成10年)にアメリカ合衆国セラミックソサエティーの名誉会員称号を受賞している。
2006年(平成18年)2月3日午前9時20分、肺炎のため京都第二赤十字病院で死去。享年84。
主な著書
[編集]- 『不思議な石ころ -私の履歴書-』(日本経済新聞社 ISBN 4-532-16127-4 1994年(平成7年)3月)