本多助寵
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時代 | 江戸時代末期 - 明治時代 |
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生誕 | 嘉永7年5月13日(1854年6月8日) |
死没 | 明治2年8月14日(1869年9月19日) |
戒名 | 成就院励誉功道徳山 |
墓所 | 長野県飯山市奈良沢の忠恩寺 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 明治天皇 |
藩 | 信濃飯山藩主 |
氏族 | 本多氏 |
父母 |
父:本多助実、母:諏訪忠恕の五女・倭子 養父:本多助成 |
兄弟 | 助成、助寵、実輝、助順、実方、実秀、実賢、賢治ほか |
本多 助寵(ほんだ すけたか)は、信濃飯山藩の第9代藩主。広孝系本多家13代。
生涯
[編集]嘉永7年(1854年)5月13日、第7代藩主・本多助実の八男として生まれる。慶応4年(1868年)7月23日、兄助成の隠居により家督を相続した。しかし病弱だったため、政務は隠居していた父の助実が代行した。
明治2年(1869年)6月2日、北越戦争出兵への賞典禄として、明治政府から5000両を賜る。同年6月22日、版籍奉還にともない、飯山藩知事に就任した。その直後の8月14日に死去した。享年16。しかし、明治政府には死亡を隠して隠居届を提出したため、公的には以下のような経歴になっている。
- 同年8月24日、従五位となる。同年9月2日、隠居して実父の助実に家督を譲った。同年9月18日、死去した。
系譜
[編集]父母