有馬孝純
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 享保2年12月24日(1718年1月25日) |
死没 | 宝暦7年2月8日(1757年3月27日) |
改名 | 吉太郎(幼名)→純長(初名)→孝純 |
諡号 | 体顕 |
戒名 | 體顕院殿真巌宗修大居士 |
墓所 | 福井県坂井市丸岡町篠岡の高岳寺 |
官位 | 従五位下、日向守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 越前丸岡藩主 |
氏族 | 有馬氏 |
父母 | 父:有馬一準、母:しな子(耀樹院、山本氏) |
兄弟 | 孝純、毛利重広、本多忠由 |
妻 |
正室:瑞応院(稲葉正知の娘) 側室:キセ、菊子(霊照院、田中氏)、八重(信相院、上杉氏) |
子 | 純養、本多忠可、純弁、純峯、純如、宇蔵、蔵人、允純、喜次郎、弥芦原弘純��皆吉純許、純貴、娘(近藤政明正室)、娘、娘 |
有馬 孝純(ありま たかすみ)は、越前丸岡藩の第3代藩主。晴信系有馬家6代。
享保2年(1718年)12月24日、第2代藩主・有馬一準の長男として丸岡城で生まれる。初名は純長であったが、享保18年(1733年)4月1日、父の隠居により家督を継いで藩主になると、孝純と改めた。父と同じく、藩財政再建のために家臣団の知行借上げ、禄高の削減を行い、享保20年(1735年)には竹田山銅山開発に着手したが失敗した。
宝暦7年(1757年)2月8日、父に先立って丸岡城で死去した。享年41。跡を八男の允純が継いだ。
系譜
[編集]父母
- 有馬一準(父)
- 山本しな子、耀樹院 ー 山本氏、側室(母)
正室
- 瑞応院 ー 稲葉正知の娘
側室
- キセ
- 田中菊子、霊照院 ー 田中氏
- 上杉八重、信相院 ー 上杉氏
子女