月輪経家
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時代 | 鎌倉時代中期 |
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生誕 | 安貞元年(1227年) |
死没 | 不詳[1] |
官位 | 正二位、左近衛中将 |
主君 | 後堀河天皇→四条天皇→後嵯峨天皇→後深草天皇→亀山天皇 |
氏族 | 藤原氏九条家庶流月輪家 |
父母 |
父:九条基家 母:一条高能の娘 |
兄弟 | 経家、月輪良基 |
子 | 女子[2] |
月輪 経家(つきのわ つねいえ)は、鎌倉時代中期の公卿。非参議正二位左中将。父は歌人として知られる内大臣九条基家、母は参議一条高能女。父基家は九条を称していたが、経家からあとは月輪と称す。
経歴
[編集]以下、『公卿補任』及び『尊卑分脈』に基づいて記述する。
- 暦仁元年(1238年)12月1日、叙爵[3]。禁色を許される。同月20日、侍従に任ぜられる。
- 暦仁2年(1239年)1月5日、正五位下に昇叙。
- 延応元年(1239年)4月13日、右少将に任ぜられる。同月28日、従四位下に昇叙[4]。同年10月18日、右中将に転任。
- 延応2年(1240年)1月22日、讃岐権介を兼ねる。同年4月5日、従四位上に昇叙[5]。
- 仁治元年(1240年)11月12日、正四位下に昇叙。
- 仁治2年(1241年)2月1日、従三位に叙される。
- 仁治3年(1242年)3月7日、播磨権守を兼ねる。同年4月9日、正三位に昇叙。
- 仁治4年(1243年)従二位に昇叙。
- 建長3年(1251年)1月22日、正二位に昇叙。
- 弘長3年(1263年)2月14日、出家。この時48才。