愛国飛行場
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愛国飛行場(あいこくひこうじょう)とは、1930年代以降の大日本帝国で献納された飛行場につけられた名称。
概要
[編集]帝国飛行協会がこれを推進し、300箇所の献納を目指していた[1]。着工に至らなくても、埼玉県比企郡松山町(現・東松山市)のように測量のみが行われたケースもある。
また航空政策の管轄官庁でもあった逓信省[2]が献金に協力し、1937年6月1日発行に日本初の寄附金付切手である「愛国切手」を発行した。この切手は3種類の額面と刷色が異なる切手であり、募金を呼びかけるものと同時に、売上金の一部を献金するものであった。なお図案は北アルプス上空を飛行するダグラス DC-2型輸送機を描いたもの。
主な愛国飛行場
[編集]- 愛国飛行場 (旭川市) - 戦前旭川市に存在した当時は上川地区唯一の飛行場。現在の陸上自衛隊旭川駐屯地。作家の三浦綾子が女子青年団の指導員として動員されていた飛行場でもある。
- 愛国飛行場 (釧路市) - 文苑地域・新釧路川左岸にまたがる地域に存在した飛行場。1961年(昭和36年)の釧路空港開設以前は民間の飛行場として運用されていた。現在は住宅地、河川。
- 桐生愛国飛行場 - かつて群馬県新田郡笠懸村(現・みどり市)に存在した飛行場。太平洋戦争の空襲で壊滅。
- 金沢飛行場 - かつて石川県河北郡川北村(現・金沢市)に存在した飛行場。終戦後に閉場。
- 長野飛行場 - 犀川北部・長野市風間・松岡一帯に存在した飛行場。戦後は民間飛行場として供用されるが、1990年(平成2年)に閉場。
- 愛国飛行場 (高松市) - かつて香川県香川郡弦打村(現高松市)に存在した飛行場。1934年(昭和9年)5月22日開場[3]、戦後競馬場に転用された。