御影本町
表示
御影本町(みかげほんまち)は、兵庫県神戸市東灘区の町名の一つで、旧御影町域(御影地区)の旧・御影村域のうち阪神本線を北限とする区域を指す。1丁目から8丁目までが存在する。平成17年国勢調査(2005年10月1日現在)における世帯数は1,983、人口4,307で内男性2,119人・女性2,188人[1]。郵便番号:658-0046。
概要
[編集]昭和43年(1968年)6月1日に御影町御影字浜東(一部)・上東・弓場・上弓場・沢ノ井・浜中・浜西(一部)・上中・上西が合わさって住居表示を実施し、誕生した。東は東御影線を挟んで住吉南町、南は海を挟んで御影浜町、西から北西は旧石屋村域の御影石町、南西はハーバーハイウェイの灘大橋を挟んで灘区灘浜東町、北は阪神を挟んで御影中町、北東の一点で住吉宮町とそれぞれ隣接する。
旧・小字の弓場とは弓を射て豊作を占う古来の信仰行事の場である。 同じく沢ノ井とは御影という地名の由来となった、神功皇后が三韓征伐の帰途に姿を映した泉である。伝説によれば南北朝時代、この泉の水で酒を醸して後醍醐天皇に献上したところ、大層喜ばれた(嘉納された)。爾来、付近の酒造家は「嘉納」という姓を名乗り始めたという。
6丁目の西方寺(山号:影松山)境内には古来の名勝「御影の松」があり多くの文学作品にも登場した。名松は明治27年頃に枯れ、今は二代目。その南が灘五郷酒造組合である。灘五郷の一つ御影郷の中心地、酒造地帯であるが、阪神・淡路大震災によって木造の酒蔵が全壊した。
町名の変遷
[編集]昭和25年4月1日 | 昭和37年9月30日 | 昭和41年2月1日 | 昭和43年6月1日 |
---|---|---|---|
御影町御影字浜東 | 御影本町一丁目 | ||
御影町御影字上東 | 御影町御影字上東 | 御影本町二丁目 | |
御影町御影字柳(南部) | |||
御影町御影字申御田(南部) | |||
御影町御影字浜弓場 | 御影本町三丁目 | ||
御影町御影字上弓場 | 御影本町四丁目 | ||
御影町御影字上中(一部) | 御影町御影字沢ノ井 | ||
御影町御影字上弓場(一部) | |||
御影町御影字坂地(御影町御影字上中になった以外) | |||
御影町御影字申御田(一部) | |||
御影町御影字十ヶ坪 | |||
御影町御影字浜中 | 御影本町五丁目 | ||
御影本町六丁目 | |||
御影町御影字上中 | 御影町御影字上中 | ||
御影町御影字上弓場 | |||
御影町御影字坂池 | |||
御影町御影字浜西 | 御影本町七丁目 | ||
御影本町八丁目 | |||
御影町御影字上西 | 御影町御影字上西 | ||
御影町御影字一里塚(南部) |
施設
[編集]出身・ゆかりのある人物
[編集]- 嘉納治五郎(教育家)
参考文献
[編集]- 神戸史学会 編『新 神戸の町名』神戸新聞総合出版センター、1996年。ISBN 978-4875212041。
- 原田 健 編『東灘区25年』東灘区役所、1976(昭和51)年。
御影石町(3丁目) | 御影中町 | 住吉宮町(5丁目) | ||
御影石町(1-2丁目) | 住吉南町 | |||
御影本町 | ||||
(灘区)灘浜東町 | 御影浜町 | 住吉浜町 |