後藤重巳
ごとう しげみ 後藤 重巳 | |
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生誕 |
1934年9月7日 大分県直入郡入田村(現・竹田市) |
死没 | 2014年4月23日(79歳没) |
出身校 | 國學院大學史学科 |
職業 | 歴史学者 |
肩書き | 別府大学名誉教授 |
栄誉 | 瑞宝中綬章(2012年) |
後藤 重巳(ごとう しげみ、1934年(昭和9年)9月7日 - 2014年(平成26年)4月23日)は、大分県直入郡入田村(現・竹田市)出身の歴史学者(日本近世史)。別府大学名誉教授。大分県の近世史研究における第一人者とされる[1]。
経歴
[編集]出生
[編集]1934年(昭和9年)9月7日、大分県直入郡入田村(現・竹田市)に生まれた[2]。父は入田村長を務めた後藤千代巳、母はハツ子[2]。
歴史学者として
[編集]1953年(昭和28年)3月に大分県立竹田高等学校を卒業し[3]、1957年(昭和32年)3月に國學院大學史学科を卒業した[4]。1961年(昭和36年)には別府大学助手��別府大学附属高等学校(現・明豊中学校・高等学校)教諭に就任した[4]。その後別府大学文学部教授に就任し、史学科と文化財学科で教鞭を取った[4]。
別府大学文学部長、学校法人別府大学理事、別府大学附属博物館館長などの役職を歴任した[4]。23年に渡って出身校の國學院大學国史学会評議員を務めたほか、賀川光夫の後任として別府大学史学研究会会長を務めた[4]。別府大学附属博物館では、近世資料の翻刻や近世文書の蒐集などを行い、別府大学アーカイブズ・センターの設立への道を拓いた[4]。1970年代中頃に刊行された『宇佐市史』など、大分県内の多数の自治体史の編纂にも携わり、1980年代中頃に刊行された『竹田市史』では編纂責任者を務めた[4]。
晩年
[編集]2004年(平成16年)には別府史談会の第4代会長に就任した[1]。2009年(平成21年)3月に定年退職し、別府大学名誉教授の称号を授与された[1]。2012年(平成24年)秋には瑞宝中綬章を受章した[1]。2014年(平成26年)4月23日に死去した[4]。享年79[4]。竹田市立図書館は後藤重巳文庫を所蔵している。