常滑町
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とこなめちょう 常滑町 | |
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廃止日 | 1954年4月1日 |
廃止理由 |
合併 |
現在の自治体 | 常滑市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方、東海地方 |
都道府県 | 愛知県 |
郡 | 知多郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 7.88 km2. |
総人口 |
14,045人 (愛知県郡市町村勢要覧[1]、1950年10月1日) |
隣接自治体 |
半田市 知多郡鬼崎町、西浦町、三和村 |
常滑町役場 | |
所在地 | 愛知県知多郡常滑町字南屋敷39 |
座標 | 北緯34度53分12秒 東経136度49分57秒 / 北緯34.88667度 東経136.83239度座標: 北緯34度53分12秒 東経136度49分57秒 / 北緯34.88667度 東経136.83239度 |
ウィキプロジェクト |
常滑町(とこなめちょう)は、愛知県知多郡にかつて存在した町。
現在の常滑市中心部に該当する。
日本六古窯の一つの常滑焼の産地であり、古くから窯業で栄えている。
常滑の名の由来は、この地域の地盤が粘土層が露出している箇所が多く、地盤(床)が滑らかであったことに由来すると推測される[2]。
歴史
[編集]- 平安時代後期頃から中世にかけ、知多半島中部で陶器(古常滑)が生産されたが、安土桃山時代から江戸時代前期にかけて衰退する。
- 江戸時代後期、常滑村を中心にして常滑焼が復興する。
- 江戸時代末期、この地域は尾張藩領、寺社領であった。
- 1878年(明治11年) - 常滑村、北条村、瀬木村、多屋村が合併し、常滑村となる。
- 1884年(明治17年) - 常滑村から多屋村[3]が分立する。
- 1890年(明治23年)12月17日 - 町制施行し、常滑町となる。
- 1954年(昭和29年)4月1日 - 常滑町、大野町、西浦町、鬼崎町、三和村が合併し市制施行。常滑市となる。
交通機関
[編集]教育
[編集]- 愛知県立常滑高等学校
- 常滑町立常滑中学校 (現・常滑市立常滑中学校)
- 常滑町立常滑小学校 (1980年に分割。現・常滑市立常滑西小学校、常滑市立常滑東小学校)
神社・仏閣
[編集]- 総心寺
- 宝全寺
- 常石神社
史跡
[編集]- 常滑城址
出身有名人
[編集]- 伊奈長三郎(伊奈製陶(のちのINAX、現LIXIL創業者、初代常滑市長)
- 伊奈輝三(INAX(現LIXIL)中興の祖、元日本セラミックス協会会長)
- 谷川徹三(哲学者、評論家。谷川俊太郎の父)
- ザ・ピーナッツ(元歌手。伊藤エミ/伊藤ユミ)
脚注
[編集]- ^ 愛知県総務部統計課 1951年10月刊行
- ^ 常滑市公式ホームページによる。
- ^ 1906年に合併し鬼崎村(後の鬼崎町)の一部。現・常滑市多屋町