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島津隼彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
島津隼彦
しまづ はやひこ
生年月日 1879年8月31日
出生地 日本の旗 日本 鹿児島県鹿児島市
没年月日 (1936-06-05) 1936年6月5日(56歳没)
出身校 帝国大学法科大学中退
学習院高等科卒業
(現・学習院大学
前職 第百四十七銀行取締役
(現・鹿児島銀行
称号 従三位
勲四等
配偶者 島津いえ
島津慶
親族 父・島津忠欽(貴族院議員)
義弟・牧野一成(貴族院議員)
義弟・米津政賢(貴族院議員)
伯父・島津忠義(貴族院議員)
伯父・島津珍彦(貴族院議員)
叔父・島津忠済(貴族院議員)
甥・島津忠彦(参議院議員)
従兄・島津長丸(貴族院議員)
従弟・島津忠重(貴族院議員)
従弟・島津忠承(貴族院議員)

在任期間 1911年7月10日 - 1918年7月9日
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島津 隼彦(しまづ はやひこ、1879年明治12年〉8月31日[1] - 1936年昭和11年〉6月5日[2])は、日本政治家華族男爵)。島津忠欽の次男で、母は島津忠冬の長女・巖。先妻は北郷久政島津久本の子)の長女。後妻は戸沢正実の娘・よし。位階従三位[3]勲等は勲四等[3]

略歴

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鹿児島市生まれ[1]1896年(明治29年)9月に今和泉島津家の家督を父忠欽から譲られた。忠欽は今和泉家の籍に隼彦を残し、巌や隼彦の兄の雄五郎など他の子たち共々、��父久光の家である玉里島津家の分家を新たに立て、また同年12月に男爵を叙爵。1898年(明治31年)、学習院に入った[1][注釈 1]1900年(明治33年)隼彦も男爵を叙爵した。1902年(明治35年)9月、帝国大学法科大学に入学した[5]。しかし、1904年(明治37年)に退学した[5]1909年(明治42年)第百四十七銀行取締役に就任[2]

1911年(明治44年)7月10日、貴族院男爵議員に当選し[6]1918年(大正7年)7月9日まで1期在任した[2]

家系

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  • 父:島津忠欽(1845-1915)
  • 母:巌(1845-1901)-島津忠冬
  • 先妻:北郷いえ(1883-1910)-北郷久政の娘
    • 長女:貴美子 -(1906年1月-不明)- 鍋島滋(鍋島桂次郎の息子)の妻
    • 次女:恒子 -(1907年4月-不明)- 関重威の妻
    • 三女:富美子-(1908年10月-不明)- 祁答院重興の妻
    • 長男:忠親 (1910年3月-1945)
  • 後妻:慶(1882-1915)-戸沢正実の娘
    • 四女:満 (1912年9月-不明)
    • 次男:久則 (1914年10月-不明)
  • 妻:日高シモ - 鹿児島出身
    • 庶子:久治 (1916年12月-不明)
    • 庶子:久弘 (1918年11月-1949)
    • 庶子:久近 (1920年10月-1946)
    • 庶子:正子 (1922年1月-1945)
    • 庶子:光彦 (1923年1月-1945)
    • 庶子:明彦 (1925年9月-1944)
    • 庶子:重子 (1926年11月-不明)-藤安祥造の妻
    • 庶子:英彦 (1931-1992)

栄典

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脚注

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注釈

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  1. ^ 時期不明ながら高等科卒業[4]

出典

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  1. ^ a b c 人事興信録 初版(明36.4刊) 611コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  2. ^ a b c 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』74頁。
  3. ^ a b 議会制度百年史 貴族院・参議院議員名鑑 46コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  4. ^ 貴族院要覽 大正6年12月増訂 乙 234コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  5. ^ a b 人事興信録 4版 954コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  6. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、21頁。
  7. ^ 『官報』号外「授爵叙任及辞令」1900年5月9日。

参考文献

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  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『角川日本姓氏歴史人物大辞典 鹿児島県姓氏家系大辞典』鹿児島県姓氏家系大辞典編纂委員会、角川書店、1994年。


日本の爵位
先代
叙爵
男爵
(今和泉)島津家初代
1900年 - 1936年
次代
島津忠親