岡本英太郎
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生年月日 | 1871年11月2日 |
出生地 | 大阪府三島郡山田村 |
没年月日 | 1953年5月16日(81歳没) |
出身校 | 東京帝国大学 |
称号 |
従三位勲二等瑞宝章 錦鶏間祗候 |
配偶者 | 岡本敏子(渡邉邁三女) |
親族 |
渡部信(義弟) 関屋貞三郎 |
第25代 農商務次官 | |
在任期間 | 1922年6月14日 - 1923年12月8日 |
初代 産業組合中央金庫理事長 | |
在任期間 | 1923年12月20日 - 1928年12月20日 |
第20代 特許局長官 | |
在任期間 | 1923年7月25日 - 1923年8月29日 |
岡本 英太���(おかもと えいたろう、1871年11月2日〈明治4年9月20日[1]〉 - 1953年〈昭和28年〉5月16日[2])は、日本の農商務官僚。位階は従三位、勲等は勲二等瑞宝章。
農商務次官(第25代)、産業組合中央金庫理事長(初代)、特許局長官(第20代)、国際労働総会日本政府代表。錦鶏間祗候。
経歴
[編集]岡本家は雄略天皇の御宇、伊射奈岐神社(吹田市山田東)の初代神主・岡本豊足彦を始祖とする1000年以上連綿と続く素封家である。
1898年(明治31年)、東京帝国大学法科大学仏法科を卒業し、同年12月文官高等試験に合格した[3]。農商務省に入り、林務官、山林局事務官・書記官、鉱山監督局事務官・書記官、官営八幡製鉄所理事、山林局長、商工局長・戦時保険局長、商務局長、農務局長、農商務次官、兼特許局長官を歴任し、1923年(大正12年)12月8日、農商務次官を依願免本官となり退官した[4][5]。
退官後は産業組合中央金庫(現農林中央金庫)の創設に尽力し初代理事長を務め、その後さらに養鶏組合中央会会頭に就任した。その他に協調会評議員、中央報徳会理事、産業組合中央会特別会員などを務めた。
1932年(昭和7年)9月27日、錦鶏間祗候を仰せ付けられた[6]。
栄典
[編集]- 位階
- 勲章
親族
[編集]- 渡邉邁 - 岳父[10]。日光二荒山神社宮司、三嶋大社宮司、早稲田大学教授。
- 渡部信 - 妻の弟[1]。帝室博物館総長(第6代)。貴族院議員。
- 関屋貞三郎 - 渡部信の従兄。宮内次官(第11代)、枢密顧問官。
脚注
[編集]- ^ a b 大衆人事録 1930.
- ^ 戦前期官僚制研究会編『戦前期日本官僚制の制度・組織・人事』東京大学出版会、1981年。
- ^ 『日本官僚制総合事典1868-2000』第2版、179頁。
- ^ 『日本官僚制総合事典1868-2000』第2版、114、179頁。
- ^ 『官報』第3391号、大正12年12月11日。
- ^ 『官報』第1725号、昭和7年9月28日。
- ^ 『官報』第3416号「叙任及辞令」1924年1月15日。
- ^ 『官報』第2640号「叙任及辞令」1921年5月21日。
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
- ^ 『人事興信録 5版』人事興信所、1918年、を183頁。
参考文献
[編集]- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典1868-2000』第2版、東京大学出版会、2007年。