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山口嘉七

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

山口 嘉七(やまぐち かしち、1857年9月13日(安政4年7月25日[1][2])- 1932年昭和7年)12月17日[2][注釈 1])は、明治から昭和初期の弁護士実業家政治家衆議院議員

経歴

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若狭国遠敷郡小浜酒井町[2][3][注釈 2]福井県[4]遠敷郡小浜町を経て現小浜市[3]酒井[2])で、小浜藩士・山口甚太夫の三男として生れる[2][3]

1886年(明治19年)代言人試験に合格し[5]、1893年(明治26年)弁護士登録を行い[6][4]大津京都で開業[3]。その後、帰郷して1895年(明治28年)4月、小浜町会議員となる[6]。遠敷郡会議員、同参事会員にも在任[4][6][7]。1897年(明治30年)8月、福井県会議員に初当選し、1908年(明治41年)3月まで通算5期、10年6ヵ月在任した[2][3][6]。1915年(大正4年)3月、第12回衆議院議員総選挙で福井県郡部から立憲同志会所属で出馬して初当選[2][3][6][8]。1917年(大正6年)4月、第13回総選挙では憲政会所属で立候補したが次点で落選[9]河崎清の死去に伴い、1925年(大正14年)12月に実施の第15回総選挙福井県第5区補欠選挙に出馬して再選され[2][3][10]憲政会立憲政友会に所属して衆議院議員に通算2期在任した[2][4][7]。この間、小浜線敷設工事、北川改修工事の推進などに尽力した[2][3]

実業界では、若狭商業銀行監査役、小浜電灯監査役、若狭自動車監査役、若狭電気社長、江若鉄道(現江若交通)取締役、小浜実業会長などを務めた[2][3][4][5][6][7]

脚注

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注釈

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  1. ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』674頁、『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』470頁では昭和8年1月6日。
  2. ^ 『現代日本の政治家』同志会222頁では雲浜村上竹原、『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』470頁では雲浜村。

出典

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  1. ^ 衆議院『第三十六回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1915年、19頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k 『福井県議会史 議員名鑑』421-423頁。
  3. ^ a b c d e f g h i 『福井県大百科事典』1012頁。
  4. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』674頁。
  5. ^ a b 『人事興信録 第8版』ヤ73頁。
  6. ^ a b c d e f 『現代日本の政治家』同志会222-223頁。
  7. ^ a b c 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』470頁。
  8. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』64頁。
  9. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』93頁。
  10. ^ 『官報』第4005号、大正14年12月29日。

参考文献

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  • 細井肇『現代日本の政治家』國光社、1916年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 福井県議会史編さん委員会編『福井県議会史 議員名鑑』福井県議会、1975年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『福井県大百科事典』福井新聞社、1991年。