屋代町
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やしろまち 屋代町(第1次) | |
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廃止日 | 1955年4月1日 |
廃止理由 |
新設合併 屋代町、雨宮県村、森村 → 埴科屋代町 |
現在の自治体 | 千曲市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方(甲信越地方) |
都道府県 | 長野県 |
郡 | 埴科郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
4,950人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 | 埴科郡埴生町、雨宮県村、森村、更級郡篠ノ井町、塩崎村 |
屋代町(第1次)役場 | |
所在地 | 長野県埴科郡屋代町 |
ウィキプロジェクト |
やしろまち 屋代町(第2次) | |
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廃止日 | 1959年6月1日 |
廃止理由 |
新設合併 埴科郡屋代町、埴生町、更級郡稲荷山町、八幡村 → 更埴市 |
現在の自治体 | 千曲市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方(甲信越地方) |
都道府県 | 長野県 |
郡 | 埴科郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 56.25 km2. |
総人口 |
11,379人 (国勢調査、1955年) |
隣接自治体 | 篠ノ井市、埴科郡埴生町、戸倉町、松代町 |
屋代町(第2次)役場 | |
所在地 | 長野県埴科郡屋代町 |
座標 | 北緯36度31分18秒 東経138度09分23秒 / 北緯36.52172度 東経138.15628度座標: 北緯36度31分18秒 東経138度09分23秒 / 北緯36.52172度 東経138.15628度 |
ウィキプロジェクト |
屋代町(やしろまち)は、長野県埴科郡にあった町。現在の千曲市東部にあたる。本項では第2次屋代町の発足時の名称である埴科屋代町(はにしなやしろまち)についても述べる。
地理
[編集]歴史
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、屋代町・粟佐村の区域をもって屋代町(第1次)が発足。
- 1926年(大正15年)7月18日 - 警廃事件発生。警察署の統廃合に反対する町民が長野市に押しかけ、他地域の住民とともに県知事公舎・警察部長官舎等への襲撃を行った[1]。
- 1947年(昭和22年)10月12日 - 昭和天皇が行幸(昭和天皇の戦後巡幸)。屋代小学校に奉迎場を設けて天皇を迎える[2][3]。
- 1955年(昭和30年)
- 1956年(昭和31年)9月30日 - 倉科村を編入。
- 1959年(昭和34年)6月1日 - 埴生町・更級郡稲荷山町・八幡村と合併して更埴市が発足。同日屋代町廃止。
江戸時代には北国街道の矢代宿が置かれていたが、明治維新後に松代藩が廃藩になると、松代に代わって屋代が埴科郡の中心地として栄えるようになり、郡役所や旧制屋代中学が���置された。
交通
[編集]鉄道路線
[編集]長野電鉄河東線および日本国有鉄道信越本線(現・しなの鉄道線)の屋代駅は隣接する埴生町に所在した。また、現在は旧町域にしなの鉄道線の屋代高校前駅が所在するが、当時は未開業。
道路
[編集]現在は旧町域に長野自動車道の更埴インターチェンジ、上信越自動車道・長野自動車道の更埴ジャンクションが所在するが、当時は未開通。
脚注
[編集]- ^ 「長野県は無警察状態に」『大阪毎日新聞』1926年7月19日(大正ニュース事典編纂委員会 『大正ニュース事典第7巻 大正14年-大正15年』本編p.520 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、97頁。ISBN 978-4-10-320523-4。
- ^ 宮内庁『昭和天皇実録第十』東京書籍、2017年3月30日、485頁。ISBN 978-4-487-74410-7。
参考文献
[編集]- 角川日本地名大辞典 20 長野県