小西川
小西川 | |
---|---|
![]() ![]() 上:峰山市街地を流れる小西川 下:竹野川とその支流 | |
水系 | 二級水系 竹野川 |
種別 | 二級河川 |
延長 | 5.0[1] km |
流域面積 | 10.5[1] km2 |
河口・合流先 | 竹野川を経て日本海 |
流域 | 京都府京丹後市 |
小西川(こにしがわ)は、京都府北部の京丹後市(旧峰山町域)を流れる竹野川水系の二級河川。全長5.0キロメートル、流域面積10.5平方キロメートル[1]。
地理
[編集]小西川は奥吉原、小西にある切畑権現山から流れ出ている川で、西山、稲代、細谷、善明(現峰山町西山、安など)の支流を集め、峰山市街を東西に横断する。峰山町杉谷を東に流れ、同町丹波に入り、竹野川と合流する[2]。京都丹後鉄道宮豊線峰山駅北側を、同線路と京都府道663号掛津峰山線を横切り東に流れる。
橋梁
[編集]1927年(昭和2年)に起きた北丹後地震の影響により、小西川には鉄筋コンクリート造の橋がいくつか架けられた。破損等により完全な形で残るものは少ないが、建築年代が不明のものを含め、太平洋戦争前の小西川に建造された橋は7か所ある。同地震後、城崎温泉の復興に際して大硲川に架けられた橋に比べると、小西川の橋は建築年代が様々で、デザインの統一が見られないなどの特徴がある[3]。
建築年 | 橋名 |
---|---|
1928年(昭和3年)3月 | 大橋 |
1929年(昭和4年)3月 | 樋田橋 |
1929年(昭和4年)4月 | 田町口橋 |
1929年(月日不明) | 御旅橋 |
1935年(昭和10年)9月 | 朝日橋 |
1935年(昭和10年)10月 | 千歳橋 |
年代不明 | 早苗橋 |
歴史
[編集]災害史
[編集]2008年(平成20年)7月28日近畿一円の大雨で、京丹後市峰山町浪花で、小西川の水があふれた。京都地方気象台によると、京丹後市峰山町で午後1時30分までの1時間で81.0ミリの雨量を記録している。[4]
改修
[編集]西暦 | 和暦 | 改修事項 |
---|---|---|
1920年 | 大正9年 | 小西川中央部を四間幅に拡幅[5]。 |
1921年 | 大正10年 | 小西川上流を直線に改修[6]。 |
1922年 | 大正11年 | 小西川下流部を直線に改修[6]。 |
1935年 | 昭和10年 | 小西川(安池内)を直線に改修、堤防道路完成[6]。 |
文化
[編集]2016年(平成28年)3月に閉校した京丹後市立吉原小学校の校歌の1番の中で「小西川」の名が歌われている。[7]
2012年度(平成24年度)には市民と行政が協働で活動するための組織「みんなで小西川に人集う小径(こみち)をつくろう協議会」が結成された。府民が遊歩道の活用を提案し、行政は空間整備を受け持つという事業において、小西川堤防を歩く企画、世界一長い丹後ばらずし作りを行うなど様々な活用方法が提案、採択された。2014年(平成26年)3月23日に河川の遊歩道「ゆめサンサンロード」が完成した。[8]
ギャラリー
[編集]-
京丹後市峰山町小西付近の上流部。左手は奥吉原城跡入り口。
-
京丹後市峰山町御旅付近。京都府河川情報 河川防災カメラ。
-
京丹後市峰山町御旅付近。御旅市場。
-
京丹後市峰山町丹波付近。竹野川との合流付近。
脚注
[編集]- ^ a b c 二級河川 竹野川水系河川整備計画 京都府、2016年
- ^ 峰山町『峰山郷土史 上巻』峰山町、1963年、591頁。ISBN 4653012059。
- ^ 京丹後市史編さん委員会『京丹後市史本文編 図説京丹後市の自然環境』京丹後市、2015年、168頁頁。
- ^ “京丹後・宮津47人避難 浸水・冠水相次ぐ”. 朝日新聞. (2008年7月29日)
- ^ 京丹後市史編さん委員会『京丹後市史本文編 図説京丹後市の自然環境』京丹後市、2015年、174頁。
- ^ a b c 峰山町教育委員会『峰山年表』峰山町教育委員会、1966年。
- ^ 「五箇小学校、吉原小学校が閉校地域と歩んだ歴史に幕」『広報きょうたんご』vol.146、2016年
- ^ ゆめサンサンロード
参考文献
[編集]- 京丹後市史編さん委員会『京丹後市史本文編 図説京丹後市の自然環境』京丹後市、2015年。
- 峰山町『峰山郷土史 上・下』峰山町、1963年。
- 峰山町教育委員会『峰山年表』峰山町教育委員会、1966年。
外部リンク
[編集]- 二級河川 竹野川水系河川整備計画 京都府、2016年
- 小西川 京都府河川情報 河川防災カメラ
- ゆめサンサンロード峰山地区河川整備等まちづくり促進協議