小川良樹
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基本情報 | ||||
国籍 | 日本 | |||
生年月日 | 1955年10月29日(69歳) | |||
出身地 | 愛知県名古屋市 | |||
ラテン文字 | Yoshiki Ogawa | |||
選手情報 | ||||
所属 | 細田学園高校 | |||
役職 | エグゼクティブアドバイザー |
小川 良樹(おがわ よしき、1955年10月29日[1][2] - )は、日本のバレーボール指導者。愛知県名古屋市出身[1]。
来歴
[編集]早稲田大学高等学院、早稲田大学法学部を卒業後、早稲田大学教育学部教育学科体育学を専修する[3]。
1981年から下北沢成徳高等学校でバレー部監督を務める[3]。2002年に開催された春高バレー(第33回全国高等学校バレーボール選抜優勝大会)で三田尻女子を下し初優勝を飾る。その年は、インターハイ(全国高等学校総合体育大会バレーボール競技大会)と国民体育大会バレーボール競技でも優勝を果たし、3大大会の3冠を達成した[3]。
同校の同部からは、多数のバレーボール日本女子代表選手を輩出している。
2022年3月に開催されたさくらVOLLEY(第27回全国私立高等学校男女選手権大会)後に今季をもって監督を退任することを明かした。自身の退任に��いては10年前(2012年)には頃から考えていたとし、後任には伊藤崇博を指名した[4]。なお、監督退任後もチームには残るとした。この年の下北沢成徳は、去年の春高で活躍した選手を数多く擁し、「監督の花道を飾る」と意気込んで大会に挑んだ[5]。8月に行われたインターハイでは準決勝で古川学園に敗北し4強。第77回国民体育大会(いちご一会とちぎ国体)へも東京都代表として出場し、4強入りした。その後11月13日に行われた第75回全日本バレーボール高等学校選手権大会の東京都予選で、2敗し春高の出場権を逃す[6]。小川はその後のインタビューで、「自分らしい終わり方だった」「選手に申し訳ない」「最後まで自分のスタイルを貫けた」と話し、自身の41年に亘る監督生活は幕を閉じた[4]。
2023年、細田学園高等学校のバレーボール部エグゼクティブアドバイザーに就任[7][8]。
著書
[編集]- 2003.4 「うまくなる!バレーボール」 (監修、西東社) ISBN 978-4-7916-1148-5
- 2012.11 「バレーボール監督・コーチ入門」 (監修、池田書店) ISBN 978-4-262-16130-3
- 2013.11 「下北沢成徳高校は、なぜ多くの日本代表選手を輩出できるのか」 (著、洋泉社) ISBN 978-4-8003-0243-4
脚注
[編集]- ^ a b 【春高バレー】下北沢成徳・小川良樹監督(56) 将来見据え、自主性を尊重 - MSN産経ニュース、2013年1月13日
- ^ 1956年生まれという情報もある。
講師紹介 - 北海道体育協会
月刊バレーボール 2013年3月号 「このチームに学べ! 特別編 下北沢成徳 監督インタビュー」 p.70-71 - ^ a b c うまくなる!バレーボール-小川良樹/監修 - オンライン書店e-hon
- ^ a b “勇退する下北沢成徳・小川監督、最後の「春高バレー」出場ならず 東京大会4位で敗退”. 産経ニュース. 2022年11月13日閲覧。
- ^ 月刊バレーボール (2022年6月28日). “インターハイ前回女王下北沢成徳が都を制覇 小川良樹監督ラストイヤーで今季初の全国制覇へ【インターハイ2022東京予選(女子)】”. 月刊バレーボール. 2022年11月13日閲覧。
- ^ 只木信昭 (2022年11月13日). “東京女子は八王子実践などが本大会へ 下北沢成徳は小川監督の花道飾れず/春高バレー”. サンスポ. 2022年11月13日閲覧。
- ^ “小川良樹先生をバレーボール部エグゼクティブアドバイザーにお迎えしました!| NEWS|細田学園高等学校”. 2024年2月25日閲覧。
- ^ “【バレー】細田学園高のベンチに下北沢成徳高の小川良樹前監督⁉︎ 「もうバレーはないかな」から就任に至るまで【伊藤潔美監督×小川エグゼクティブアドバイザー対談①】(月刊バレーボール)”. Yahoo!ニュース. 2024年2月25日閲覧。