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小倉実教

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
小倉実教
時代 鎌倉時代中期 - 南北朝時代
生誕 文永元年(1264年
死没 正平4年/貞和5年9月7日1349年10月19日
改名 実教→空覚(法名)→阿覚(法名)
別名 号:富小路
官位 正二位権大納言民部卿兵部卿
主君 後深草上皇亀山天皇後宇多天皇伏見天皇後伏見天皇後二条天皇花園天皇後醍醐天皇光厳天皇光明天皇
氏族 小倉家
父母 父:小倉公雄、母:姉小路実世の娘
兄弟 実教、證季、実覚、季子、惟雲親王母、権中納言冬良室
季孝、季雄富小路公脩、公煕、教子、洞院公賢室、園基成室、女子、忠房親王
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小倉 実教(おぐら さねのり)は、鎌倉時代中期から南北朝時代にかけての公卿富小路と号す。権中納言小倉公雄の長男。官位正二位権大納言民部卿兵部卿

経歴

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以下、『公卿補任』、『尊卑分脈』の内容に従って記述する。

系譜

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脚注

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  1. ^ 従一位平棟子の給。
  2. ^ 皇后宮御給。
  3. ^ 同月、皇太子邦良親王が崩御する。

参考文献

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