小倉基
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小倉基 おぐら もとい | |
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生年月日 | 1931年9月28日 |
出生地 | 鹿児島県鹿児島市 |
没年月日 | 2015年11月19日(84歳没) |
出身校 | 國學院大學政経学部卒業 |
前職 | 国会議員秘書 |
現職 |
東京都選挙管理委員会委員長 高梁市市政アドバイザー |
所属政党 | 自由民主党 |
称号 | 従四位 |
子女 | 村上英子(長女) |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1995年4月27日 - 2003年4月26日 |
第32代東京都議会議長 | |
在任期間 | 1989年8月 - 1991年9月 |
選挙区 | 渋谷区選挙区 |
当選回数 | 5回 |
在任期間 | 1973年7月23日 - 1992年7月6日 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1959年 - 1967年 |
小倉 基(おぐら もとい、1931年(昭和6年)9月28日[1] - 2015年(平成27年)11月19日)は、日本の政治家。世界連邦東京都渋谷区連合会会長。
東京都選挙管理委員会委員長、東京都渋谷区長(2期)、東京都議会議員(5期)、渋谷区議会議員(2期)を務めた[2]。
概要
[編集]略歴
[編集]鹿児島県鹿児島市生まれ[2]。國學院高等学校、國學院大學政経学部卒業[3]後、岡崎英城衆議院議員の秘書を務める。
1959年、渋谷区議会議員選挙に出馬し、初当選。区議は2期務める。1973年、東京都議会議員選挙に渋谷区選挙区から出馬し、当選[4]。東京都議会議員を5期20年の長きにわたり務め、1988年には藍綬褒章受章。東京都議会自民党幹事長や東京都議会議長[5](1989年~1991年)を歴任した。1992年、都議を5期目の任期途中で辞職し[4]、第16回参議院議員通常選挙に自由民主党三塚派から東京都選挙区に立候補し、次点で落選した(法定得票に達したため、繰り上げ当選の資格を有した)。この時、東京都選挙区に中曽根派が擁立した現職の小野清子は当選している。
1995年、統一地方選挙で渋谷区長選挙に出馬し初当選(自民党・自由連合・公明党推薦)。1999年自民党・民主党・公明党・自由党推薦で再選。2003年も当初、3選出馬に積極的であったが、息子が覚醒剤所持法違反で逮捕されたため引退[6]。2005年から2011年まで東京都選挙管理委員会委員長を務めた。2008年、高梁市市政アドバイザー[7]。
2015年11月19日に前立腺がんのため死去[8]。84歳没。叙従四位[9]。
家族
[編集]- 村上英子[2] - 長女。東京都議会議員(4期)。東京都議会自民党幹事長(女性初)。
脚注
[編集]- ^ 『全国歴代知事・市長��覧』日外アソシエーツ、2022年、136頁。
- ^ a b c 『新訂 現代政治家人名事典-中央・地方の政治家4000人』123頁(日外アソシエーツ編集・発行、2005年)
- ^ 國學院大學院友経済会國學院大學「院友経済」2010目次
- ^ a b “歴代議長 | 東京都議会”. www.gikai.metro.tokyo.jp. 2021年4月27日閲覧。
- ^ “歴代議長・副議長 | 東京都議会”. www.gikai.metro.tokyo.jp. 2021年4月27日閲覧。
- ^ “区長引退…長男のクスリのせいだった! 前渋谷区長の長男が有罪-東京地裁”. zakzak. 2003年5月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年9月22日閲覧。
- ^ 市政アドバイザーからの提言
- ^ 訃報:小倉基さん 84歳=元都議会議長、元渋谷区長 /東京 毎日新聞 2015年11月23日[リンク切れ]
- ^ 平成27年12月24日官報
公職 | ||
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先代 天野房三 |
東京都渋谷区長 1995年 - 2003年 |
次代 桑原敏武 |
先代 近藤信好 |
東京都選挙管理委員会委員長 2005年 - 2011年 |
次代 尾﨑正一 |
議会 | ||
先代 近藤信好 |
東京都議会議長 第32代:1989年 - 1991年 |
次代 小林かんじ |