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宮島航路

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
宮島松大汽船の「厳島」(左)とJR西日本宮島フェリーの「ななうら丸」(右)。背景に弥山と麓に厳島神社大鳥居

宮島航路(みやじまこうろ)は、厳島(宮島)との間に就航している航路である。

現在

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2024年(令和6年)現在、宮島口-宮島間の主要な航路としては以下の2路線が就航している。いずれも広島県道43号厳島公園線の一部をなしている。

このほか、瀬戸内シーラインが運航する広島港グランドプリンスホテル広島前経由の「広島・元宇品〜宮島航路」や、アクアネット広島が運航する原爆ドーム近くの元安桟橋間を結ぶ「世界遺産航路」などもある。

利用者数の詳細は、「宮島桟橋#利用状況」を確認のこと。

宮島連絡船就航前

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江戸時代より、廿日市や地御前から出航する渡海船および番船が、宮島や能美島に就航していた。

1877年(明治10年)、当時の国道が海沿いにルート変更し参拝者が増加。翌1878年(明治11年)8月に渡船業者の届け出が義務化された。1888年(明治21年)には業者間の申し合い規約書が定められた。

1891年(明治24年)時点で、地御前村阿品(現・廿日市市阿品)には十数隻の渡海船が就航していた。��時の運賃は、水夫1人の場合1人6銭・2人8銭・3人9銭。以降、乗客が1人増えるごとに1銭増加。水夫が1人増えるごとに5銭追加していた。しかし、業者間の競争によって申し合いはあまり守られていなかった。

1894年(明治27年)、再度申し合い規約書が同業者一同78人で記名調印した。同年には宮内村(現・廿日市市宮内)にも業者が存在していた。

同年、広島市西本川(現・広島市中区中島町)の汽船問屋、石井久平が小型の蒸気船長安丸を購入。宇品・廿日市・宮島・呉間に就航したが、1896年(明治29年)8月に寄港が途絶気味になり、廃止になった模様である。

宮島連絡船就航後

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1897年(明治30年)9月25日山陽鉄道の延伸にあわせて広島市在住の実業家早速勝三[1]が、赤崎海岸に桟橋を設置。宮島間の航路を就航した[2]。後に町有志の事業になり、山陽鉄道が買収。その山陽鉄道が国に買収されたことで、国の航路になった。これが現在の宮島連絡船のルーツになっている。

一方で1925年(大正14年)7月には、広島電鉄の前身の広島瓦斯電軌が、宮島線地御前駅まで開業。駅から桟橋までは自動車で連絡し、新宮島桟橋(現在の西広島バイパス高架合流付近)から宮島桟橋間の「新宮島連絡船」を就航させた。翌1926年(大正15年)に宮島線は新宮島駅まで開業し、自動車による連絡は解消されたが、1931年(昭和6年)の宮島線の電車宮島駅(現・広電宮島口駅)開業で航路は廃止された。

1939年(昭和14年)には「合資会社松大航運社」が設立。1957年(昭和32年)に「宮島松大観光船有限会社」に組織変更され、翌1958年(昭和33年)に広島電鉄の資本参加を受けた。これが現在の宮島松大汽船のルーツになっている。

年表

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  • 江戸時代 - 廿日市や地御前より渡海船や番船が就航
  • 1878年(明治11年)8月 - 渡海業者の届け出義務化
  • 1888年(明治21年) - 業者間の申し合い規約書が定められる
  • 1894年(明治27年) - 再度業者間の申し合い規約書が定められる
  • 同年 - 広島市の汽船問屋、石井久平による航路就航
  • 1896年(明治29年)頃 - 石井久平による航路自然消���
  • 1897年(明治30年)9月25日 - 広島市の早速勝三が航路開設(宮島連絡船の始まり)
  • 1900年(明治33年)6月 - 早速勝三の航路を宮島有志により引き継ぎ「渡津合資会社」になる
  • 1901年(明治34年)9月 - 「渡津合資会社」が組織変更。「渡津株式会社」になる
  • 時期不明 - 「渡津株式会社」が「宮島渡航株式会社」になる?
  • 1903年(明治36年)5月8日 - 「宮島渡航株式会社」すべてを山陽鉄道が買収して直営航路として運航開始
  • 1906年(明治39年)12月1日 - 山陽鉄道が国有化される
  • 1925年(大正14年)7月15日 - 広島瓦斯電軌による宮島行航路「新宮島連絡船」開始
  • 1931年(昭和6年)2月1日 - 広島瓦斯電軌による宮島行航路「新宮島連絡船」廃止
  • 1939年(昭和14年)12月 - 「合資会社松大航運社」設立(「宮島松大汽船」の始まり)
  • 1957年(昭和32年)4月 - 「宮島松大観光船有限会社」設立
  • 1958年(昭和33年)3月6日 - 「宮島松大観光船」が広島電鉄の出資を受けて広電グループになる
  • 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化で、宮島連絡船西日本旅客鉄道に移管される
  • 2004年(平成16年)7月 - 「宮島松大観光船」が組織変更で「宮島松大汽船株式会社」になる
  • 2009年(平成21年)4月1日 - 宮島連絡船が西日本旅客鉄道からJR西日本宮島フェリーに移管される

脚注

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  1. ^ 当時、広島最大の部数を誇った新聞、芸備日日新聞の社主であった。
  2. ^ 芸備日日新聞 1897年9月23日付の新聞広告に、同月25日から連絡船就航開始の旨が記載されている

参考文献

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  • 広島電鉄開業80創立50年史(広島電鉄発行)
  • ふるさとの写真集(廿日市町教育委員会発行)
  • 廿日市町史 通史編(下)(廿日市町)
  • 廣島県 大野町誌(広島県佐伯郡大野町役場)
  • 古川達郎『鉄道連絡船再見 海峡を結ぶ"動く架け橋"をたずねて』、JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉 ISBN 978-4-533-07319-9