コンテンツにスキップ

安達曈子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
安達瞳子から転送)
初代 安達瞳子(1960年)

安達 曈子 (あだち とうこ)は、日本の華道家。

初代 安達曈子(1936年6月22日 - 2006年3月10日)は、日本の華道家。花芸安達流創始者。

二代 安達曈子(1979年 - )は、日本の華道家。初代の養女。

人物

[編集]

初代

[編集]

安達式挿花の初代家元であった安達潮花の次女[1]学習院女子高等学校卒業。

1968年、後継者に��名されたが父との考え方の相違から独立。

1973年に花芸安達流を創設し、主宰する[1]

1981年、2代目潮花の死を機会に、安達式挿花を統合。

東京農業大学山野美容芸術短期大学恵泉女学園大学の客員教授、日本ツバキ協会会長、東京都の「東京緑化推進委員会」の委員長を務めた。また『連想ゲーム』(NHK総合テレビジョン)のレギュラー回答者を担当するなど、テレビ番組にもよく出演し、新宿ゴールデン街の常連としても知られていた[要出典]。酔狂連のメンバーであり、作家の野坂昭如らとの交流もあった[2]


2006年3月10日、急性肝不全の為に死去[1]。69歳没。

二代

[編集]

安達潮花の生家(広島県呉市・浄念寺)の十七世住職・安達高潤と坊守玲子の長女。本名は安達育。1990年、小学校5年の時に曈子の養女となるために上京。

2002年、東京農業大学地球環境科学部造園科学科 卒業。

2005年1月、花芸安達流副主宰。2006年3月27日、二代目安達曈子を襲名。

既婚、一男の母[3]

著書

[編集]

(初代)

  • 『幸福への対話 第2 新しい女性』江藤淳共著 雄鶏社, 1969
  • 『花芸への道』(講談社、1982年)
  • 『伝/安達潮花』(編)安達潮花顕彰出版委員会、1987年
  • 『曈子、花あそび。』中川十内撮影. 文化出版局, 1991.7
  • 『花芸365日』(小学館、1994年)
  • 『道/桜仙抄』(六輝社、1994年)
  • 『椿しらべ』(講談社、1999年)
  • 『椿物語展』図録(サンオフィス、2003年)
  • 『花を生ける 花と芸術』(2005年、農山漁村文化協会

(二代)

  • 『花 安達流の花芸』(安達育)(2005年、講談社)
  • 『安達瞳子 作品と生涯』(2008年、花芸安達会)

脚注

[編集]
  1. ^ a b c 安達曈子さんの急逝を悼む (PDF) 箱田直紀(園芸文化研究所長)恵泉女学園大学園芸文化研究所報告「園芸文化」第3号
  2. ^ あさくさ交遊録<第9回>稲川實|月刊浅草ウェブ”. 2022年6月28日閲覧。
  3. ^ vol.3 日本人の生活を象徴する、 椿という唯一の美しさが溢れる 花芸安達流・二代主宰 安達曈子さん”. Meets Japanse Beauty. 株式会社大島椿 (2021年4月2日). 2022年5月28日閲覧。 “家族みんなで使っているので、夫や息子も大島椿の恩恵を受けています。”

外部リンク

[編集]