増田 与兵衛(ますだ よへえ、? - 天和2年10月19日(1682年11月18日))は、江戸時代前期の農民[1]、義民[2]。
信濃国小県郡上田藩領入奈良本村の農民[1][2]。天和2年(1682年)庄屋の不正を正すよう藩主仙石政明に直訴、その廉で二人の子どもと共に捕えられ死罪となる[1]。死後77年の宝暦9年(1759年)与兵衛明神として祀られた[2]。