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哲学の貧困

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哲学の貧困』(仏語La misère de la philosophie)は、カール・マルクスが亡命先のベルギー1847年に発表した、ピエール・ジョセフ・プルードンの著書『経済的諸矛盾の体系、あるいは貧困の哲学』(仏語: Système des contradictions économiques, ou Philosophie de la misère)に反論する目的で、フランス語により執筆された政治経済学に関する哲学書である。マルクスの著作としては唯一、フランス語で書かれた書物である(マルクスはデモクリトスエピクロスの自然哲学に関する学位論文も含めて、自著の本文はすべて母語であったドイツ語で執筆している)。

構成

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第1章:科学的発見

  1. 使用価値交換価値の対立
  2. 構成された価値と止揚された価値
  3. 法律の適応と価値の比率

第2章:政治経済学形而上学

  1. 方法論
  2. 分業と機械
  3. 競争独占
  4. 所有、すなわち地代
  5. 同業罷免と労働者の団結

概要

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本著はプルードンが「貧困の哲学」で扱った古典派経済学や方法論を踏まえたうえで、プルードンに不十分と考えた点が議論されている。第2章の方法論では絶対者無限を扱うヘーゲルの『大論理学』も引用し、[1]プルードンが試みた政治経済学のヘーゲルの弁証法による分析を深める試みを行い、ブルジョアジーの富の生産とプロレタリアートの貧困の生産の要因となる生産関係について考察している[2]他にも剰余価値には言及していないものの、のちの主著「資本論」の先駆けとなる労働価値説も展開している。とりわけ特徴的な点は、プルードンが「生産しないブルジョワ層から課税し、労働者の貧困の削減に寄与」できると考え、導入を主張した消費税[3]に対する反論、「すでにアダム・スミスの経済理論に由来し新しいものでない」点や[4]ストライキを「賃金の上昇と物価の高騰を招く」が故に「違法」としたプルードンの説を、当時イギリスでは解禁された結社法なども踏まえて「現実の労働者の闘争を顧みないもの」と反論し[5]、むしろ、賃金上昇が資本家の機械導入を促し物価は下落するとした。最後はプルードンの友人でもあったフェミニストジョルジュ・サンドの「闘いか死か、血まみれの闘争か無か。これは避けられない問題として厳として提示されている。」という言葉の引用で締めくくられている。

脚注

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  1. ^ 「哲学の貧困」第2章1、最初の考察
  2. ^ 「哲学の貧困」第2章1、第7及び最終考察、(ここでの記述はのちに『資本論』第1部第7編第23章において相対的過剰人口の説明の文脈で自らそのまま引用している。)
  3. ^ プルードン:『経済的諸矛盾の体系、あるいは貧困の哲学』第7章、「警察あるいは租税」
  4. ^ 「哲学の貧困」第2章3「競争と独占」
  5. ^ 「哲学の貧困」第2章5「同盟罷業と労働者の団結」

文献

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外部リンク

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