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呉漢

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
呉漢
後漢
大司馬、広平侯
出生 不詳
荊州南陽郡宛県
死去 44年建武20年)
子顔
別名 雲台二十八将第2位
爵位 建策侯〔劉秀〕→舞陽侯〔後漢〕→広平侯〔後漢〕→広平忠侯〔没後〕
官位 安楽県令〔更始〕→漁陽郡長史〔更始〕→偏将軍〔劉秀〕→漢大将軍〔劉秀〕→大司馬〔後漢〕
主君 更始帝光武帝
兄弟 兄:呉尉 弟:呉翕
呉成 呉国
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呉 漢(ご かん、? - 44年)は、後漢の武将。字は子顔(しがん)。南陽郡宛県(河南省南陽市宛城区)の人(『後漢書』列伝8・本伝)[1]光武帝の功臣であり、雲台二十八将の第2位に序せられる(『後漢書』列伝12)。

事跡

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家は貧しく、県に出仕して亭長となるが、その賓客が法を犯したため戸籍を脱し、彭寵[2]と共に漁陽に逃げ、馬を商うなどして幽州に暮らし、地元の豪傑と誼を結んだ。

更始元年(23年更始帝の使者によって、彭寵は漁陽太守、呉漢は安楽令となった。その12月に邯鄲王郎が兵を興すと、もとより更始帝の行大司馬劉秀に付くべき考えていた呉漢は、劉秀の檄文を捏造し、王郎は偽者でどこかしこも劉秀に帰属していると、或る者に言わせる謀略によって、��陽太守の彭寵や官僚を信じさせた。同郡の蓋延王梁、更に上谷郡の将の景丹寇恂耿弇と共に、王郎の軍を撃ち、広阿で劉秀の軍に合流した。偏将軍に任じられ、劉秀が王郎の邯鄲を討った後に列侯に封じられた。更に劉秀が幽州から兵を発する際には大将軍に任じられ[3]、更始帝の幽州牧苗曽を右北平郡に斬って、その軍を奪い、更に兵を集め、銅馬軍を追う劉秀本軍に合流した。また岑彭と共に更始帝の尚書令謝躬を魏郡鄴に斬った。

建武元年(25年)、呉漢は諸将と共に図讖を劉秀に献じ、劉秀に皇帝に即位することを促した。即位した光武帝は、呉漢を先の苗曽・謝躬を斬った功によって大司馬と為した。

建武2年(26年)、九将[4]を率いて流賊の檀郷を破って降した。功によって広平侯となり四県を賜った。

建武3年(27年)、二将[5]を率いて流賊の青犢を破って降し、また七将[6]を率いて、当時の群雄の一人劉永の将の蘇茂を破った。

建武4年(28年)、流賊の五校を破った。

建武5年(29年)、耿弇を率いて富平・獲索の賊を破り降した。また劉永の遺児の劉紆を捕えた。

建武6年(30年)、東海郡の群雄であった董憲を降して洛陽に凱旋し、叛乱した隗囂に備え長安に駐屯。

建武8年(32年)、光武帝の隗囂親征に従い、隗囂を岑彭と共に囲むも公孫述の救援のため長安まで撤退。

建武9年(33年)、四将軍[7]を率いて、群雄盧芳の将の賈覧を撃つも勝たず。建武10年(34年)、王覇等五将軍[8]を率いて、賈覧と匈奴の連合を退けた。

建武11年(35年)、岑彭を率いて、蜀の公孫述を討つ。岑彭が暗殺された後は、全軍を統括して、建武12年(36年)、遂には公孫述の勢力を滅ぼした。

建武18年(42年)、二将軍[9]を率いて、叛乱した蜀郡の守将の史歆を討った。

建武20年(44年)、逝去し、有司が武侯を奏上するも、光武帝により忠侯と諡された。

人柄・逸話

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  • 朴訥な人物であるが、勇猛で知謀ありと鄧禹によって見出された。
  • 朝廷では明察で謹厳質朴と見られ、戦場ではいつも冷静で挫ける事が無く、光武帝は呉漢を見れば安心できたと言う。
  • 鬲県の攻略の際、鬲県の豪族たちがその長を追い出して反していたので、諸将が攻めるを請うも呉漢は「これは長の罪、軽々しく兵を進めるな」と許さず、この長を探させ捕えて城中に詫びさせ、無血開城させた。諸将はその知略に感服した。
  • 建武2年、光武帝から宛の董訢の討伐を命じられたが、宛へ向かう途中で略奪を働く。故郷の新野を呉漢に荒らされた同僚の破虜将軍鄧奉は、激怒して呉漢を撃破し、漢に叛逆した。
  • 蜀の攻略時、公孫述と延岑の一族を皆殺しにしただけでなく、配下の兵に掠奪を許し宮室を焼いたため、光武帝は譴責している。この禍根が後に蜀の叛乱につながった。
  • 平時に光武帝が様子見させると武具の手入れをしていて、常に戦いに備え、何時でも出陣できた。

小説

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  • 宮城谷昌光『呉漢』中央公論新社、2017年。ISBN 9784120050183 

脚注

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  1. ^ 『後漢書』巻18、呉蓋陳臧列伝第8、呉漢伝。
  2. ^ 当時、彭寵は洛陽王莽配下の王邑の軍にあり、弟が漢軍にいると聞いて罪に問われるのを恐れ、またその父は以前漁陽太守であった。
  3. ^ 鄧禹による推挙。
  4. ^ 王梁朱祜杜茂賈復堅鐔王覇劉隆馬武陰識
  5. ^ 耿弇蓋延
  6. ^ 杜茂陳俊、他不詳
  7. ^ 王常朱祜王覇侯進
  8. ^ 王常朱祜侯進、残り不詳
  9. ^ 劉尚臧宮

参考文献

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  • 范曄著、『後漢書』。
    • 中央研究院・歴��語言研究所「漢籍電子文献資料庫」。
    • 岩波書店『後漢書〈第3冊〉列伝(1) 巻一〜巻十二』2002/5/29 范曄(著), 吉川忠夫(著)