吉野高善
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吉野 高善 よしの こうぜん | |
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生年月日 | 1898年5月15日 |
出生地 | 沖縄県八重山郡竹富町小浜島 |
没年月日 | 1965年11月4日(67歳没) |
出身校 | 台北医学専門学校 |
八重山民政府知事 | |
在任期間 | 1947年3月21日 - 1950年11月6日 |
八重山仮支庁長 | |
在任期間 | 1947年1月24日 - 1947年3月21日 |
在任期間 | 1946年10月21日 - 1947年1月23日 |
吉野 高善(よしの こうぜん、1898年(明治31年)5月15日 - 1965年(昭和40年)11月4日)は、八重山民政府の政治家で、八重山民政府知事を務めた。沖縄県八重山郡竹富町小浜島出身。
経歴
[編集]明治31年生まれ。沖縄県立第二中学校を経て台北医学専門学校を卒業する。
その後、昭和2年(1927年)に帰島し、石垣島で医院を開業した。
沖縄戦後は、八重山自治会の副会長に選出され[1]、続いて八重山支庁の衛生部長に就任する。その後、米軍によって八重山民政府の知事に任命される。
1950年の八重山群島知事選挙では、安里積千代候補に敗れた。
脚注
[編集]- ^ 大田靜男 『八重山戦後史』 ひるぎ社 、1985年1月15日初版、pp.56 - 58。