コンテンツにスキップ

吉田節子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
吉田 節子
Setsuko Yoshida
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1942-11-04) 1942年11月4日
出身地 愛知県
没年月日 (2014-10-26) 2014年10月26日(71歳没)
ラテン文字 Setsuko Yoshida
身長 172cm
体重 62kg
選手情報
ポジション レフト
獲得メダル
オリンピック
1968 メキシコシティ バレーボール
世界選手権
1967 日本 女子バレーボール
テンプレートを表示

吉田 節子(よしだ せつこ、1942年11月4日 - 2014年10月26日)は、日本の元バレーボール選手。1968年メキシコオリンピックバレーボール女子銀メダリスト。

来歴

[編集]

愛知県出身。両親と6人兄姉妹のスポーツ一家に生まれ、中学1年次よりバレーボールを始める。

強豪校の豊橋東高等学校を経て、実業団の鐘紡四日市に入部。

1962年に全日本メンバーに選出され、アジア大会に出場した。1965年に再び全日本メンバーとなり主将を担う。同年、世界の最優秀選手に選出された[1]。1967年の世界選手権金メダル、1968年のメキシコオリンピックではコーチ兼主将として銀メダル獲得に貢献した。

2014年10月26日、卵巣がんのため死去。71歳没。

球歴

[編集]

所属チーム

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 鐘紡百年史 発行:鐘紡(株) 編集:鐘紡(株)社史編纂室 発行日:1988年10月

参考文献

[編集]
  • VOLLEYBALL(日本バレーボール協会機関誌)1963年5月号 55ページ
  • VOLLEYBALL(日本バレーボール協会機関誌)1968年10月号 7ページ

外部リンク

[編集]