劉阿
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劉 阿(りゅう あ、生没年不詳)は、中国三国時代の呉の武将。
生涯
[編集]建安26年(221年)、蜀漢の劉備の東征迎撃のため巫に駐屯したが、呉班・馮習によって撃ち破られた[1]。
建安27年(222年)、陸遜が劉備に大勝を収めると、敗走する劉備軍を追撃した後、南山の地に駐屯した(夷陵の戦い)[2]。
黄武6年(227年)頃、荊州の祁口にて魏の張郃と交戦し、撃ち破られた[3]。
脚注
[編集]- ^ 司馬光『資治通鑑』魏紀1 s:zh:資治通鑑/卷069#文帝二年(辛丑,西元二二一年)
- ^ 陳寿撰、裴松之注『三国志』蜀書 先主伝 s:zh:三國志/卷32
- ^ 『三国志』魏書 張郃伝より。この戦いは魏の明帝(曹叡)の時代の出来事として記述され、彼の即位が227年。この後の出来事として記述される街亭の戦いが228年。s:zh:三國志/卷17#張郃