劉紹
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劉 紹(りゅう しょう、元嘉9年(432年)- 元嘉29年11月27日[1](452年12月24日))は、南朝宋の皇族。廬陵王。文帝劉義隆の五男。字は休胤。
経歴
[編集]文帝と高修儀のあいだの子として生まれた。劉義真の後を嗣ぎ、廬陵王に封じられた。元嘉20年(443年)2月、南中郎将・江州刺史に任じられた。元嘉22年(445年)、都督江州豫州西陽晋熙新蔡三郡諸軍事の任を加えられた。元嘉26年(449年)7月、左将軍・南徐州刺史に転じた。赴任しないうちに、10月に揚州刺史となった。元嘉27年(450年)12月、北魏の太武帝の南征軍が瓜歩まで到達すると、劉紹は太子劉劭に従って石頭に駐屯した。
元嘉29年(452年)、病のため職を解かれた。11月壬寅、死去した。享年は21。散騎常侍・鎮軍将軍・開府儀同三司の位を追贈された。
子はなく、南平王劉鑠の三男の劉敬先が後を嗣いだ。
脚注
[編集]- ^ 『宋書』巻5, 文帝紀 元嘉二十九年十一月壬寅条による。