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利用者‐会話:Uj

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撮影:Uj 

丹那駅の位置推定について

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お初にお目にかかります。Straysheepと申します。このたびノート:丹那駅に、丹那駅の位置推定についての考証覚書をまとめておきました(丹那駅に関する資料が散逸してしまっている現在、重要な問題ではありますが、この推定の典拠について記事本文中に長々と書くのはどうかと思いましたので)。私は独自の写真ソースなどを持たず、もっぱら書籍に引用されたソースに依拠して記事をまとめていますので知識に関しては自ずと限界があります。もしこの問題について何か新たな知見があれば、こちらの方にも書き込んでいただければ幸甚に存じます。--Straysheep会話2012年8月14日 (火) 07:09 (UTC)[返信]

いろいろ詳しく書き込んでいただいてありがとうございます。
ヤフー知恵袋の[この画像]ですが、これはYahoo!の回答者やStraysheepさんが
書かれている通り、今の「黄金山通り」(昔の桜土手)の踏切の南側(南警察署の真西)から北を向いて撮影したものです。年代はおそらく上大河より南側の
旅客営業が昭和41年に廃止されたあとで、もしかしたら既に宇品四者協定線時代かもしれません。左手奥に見えるのは昭和42年度開校の広島市立翠町小学校
です。
手前左側の階段がついた鋼製架台は、奥の踏切の車道信号を変えるための操作盤で、ここで機関車が停止してスイッチを操作し、遮断機のない踏切の車道の
信号を赤にして、北(広島駅方向)へ列車が踏切を渡って行っていました。この信号操作盤のある場所の右手が、丹那駅のあった場所として、これまで
既出の資料を根拠にすれば、最ももっともらしい場所だと思われます。
丹那駅が踏切の南側か北側かという点についてですが、国土交通省の航空写真を眺めていたら、もしかしたら踏切をまたいで南北に駅があったのかもしれない、
という気にもなってきました。機関車が踏切を越えて停車し、客車はちょうど南側のホームの位置に来る、という状態だったかもしれませんが、残念ながら
裏付ける根拠がありません。--Uj会話) 2012年8月14日 (火) 18:59 (JST)